SF映画マイベスト
夕食時に、SF映画って面白いよねという話を、かなり一方的に家族に話した。いろいろ作品を挙げつらっている内に、そういえば自分はSF映画が好きなんだな、と改めて思い至った。その勢いで、SF映画マイベスト、というリスト(後述)を作ってみた。みなさんの好きな映画はあるだろうか?
さらに各タイトルに、「怖い度」「マニア度」「エッチ度」「暴力度」「お笑い度」を5段階で付けてみた。
その結果、SF映画とは「怖くて、マニアっぽくて、あまりエッチではなく、時々暴力的で、お笑いが無い」映画であることがわかった。あまり友達にしたくないような (^ ^;)
各基準が「5」のリストを以下に示す。
怖い度5の映画:
『猿の惑星』
『時計仕掛けのオレンジ』
『ウエストワールド』
『ソイレント・グリーン』
『未来惑星ザルドス』
『エイリアン』
『CUBE』
マニア度5の映画:
『時計仕掛けのオレンジ』
『未来惑星ザルドス』
『未来世紀ブラジル』
『ストーカー』
『伝説巨人イデオン 発動編』
『イノセンス』
『博士の異常な愛情』
エッチ度5の映画:該当無し
暴力度5の映画:
『時計仕掛けのオレンジ』
『エイリアン』
『マーズ・アタック!』
『CUBE』
『ロボコップ』
『スターシップ・トゥルーパーズ』
お笑い度5の映画:
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私のSF映画マイベスト
タイトル 監督 製作年
『ゴジラ』 本多猪四郎 1954
『妖星ゴラス』 本多猪四郎 1962
『博士の異常な愛情』 スタンリー・キューブリック 1964
『華氏451』 フランソワ・トリュフォー 1966
『2001年宇宙の旅』 スタンリー・キューブリック 1968
『猿の惑星』 フランクリン・J・シャフナー 1968
『アンドロメダ...』 ロバート・ワイズ 1971
『時計仕掛けのオレンジ』 スタンリー・キューブリック 1971
『惑星ソラリス』 アンドレイ・タルコフスキー 1972
『サイレント・ランニング』 ダグラス・トランブル 1972
『ウエストワールド』 マイケル・クライトン 1973
『ソイレント・グリーン』 リチャード・フライシャー 1973
『未来惑星ザルドス』 ジョン・ブアマン 1974
『未知との遭遇』 スティーブン・スピルバーグ 1977
『スター・ウォーズ』 ジョージ・ルーカス 1977
『ルパン三世 ルパンVS複製人間(クローン)』 吉川惣司 1978
『エイリアン』 リドリー・スコット 1979
『銀河鉄道999』 りんたろう 1979
『ストーカー』 アンドレイ・タルコフスキー 1979
『E.T.』 スティーブン・スピルバーグ 1982
『ブレードランナー』 リドリー・スコット 1982
『伝説巨人イデオン 発動編』 富野喜幸 1982
『ブレインストーム』 ダグラス・トランブル 1983
『時をかける少女』 大林宣彦 1983
『ターミネーター』 ジェームズ・キャメロン 1984
『デューン/砂の惑星』 デビッド・リンチ 1984
『バック・トゥー・ザ・フューチャー』 ロバート・ゼメキス 1985
『未来世紀ブラジル』 テリー・ギリアム 1985
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』 山賀博之 1987
『ロボコップ』 ポール・バーホーベン 1987
『機動警察パトレイバー2 the Movie』 押井守 1993
『MEMORIES』 大友克洋ら 1995
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』 押井守 1995
『12モンキーズ』 テリー・ギリアム 1995
『マーズ・アタック!』 ティム・バートン 1996
『インデペンデンス・デイ』 ローランド・エメリッヒ 1996
『ミクロの決死圏』 リチャード・フライシャー 1996
『フィフス・エレメント』 リュックベッソン 1997
『CUBE』 ヴィンチェンゾ・ナタリ 1997
『スターシップ・トゥルーパーズ』 ポール・バーホーベン 1997
『ガタカ』 アンドリュー・ニコル 1997
『ギャラクシー・クエスト』 ディーン・パリソット 1999
『マトリックス』 ウォシャウスキー兄弟 1999
『アイアン・ジャイアント』 ブラッド・バード 2000
『サトラレ』 本広克行 2001
『マイノリティーリポート』 スティーブン・スピルバーグ 2002
『イノセンス』 押井守 2004
『銀河ヒッチハイクガイド』 ガース・ジェニングス 2005
『時をかける少女』 細田守 2006
「たばこと塩の博物館」
そこからBunkamuraまで降りて、スペイン坂を登って、途中昼ご飯を食べ、最後に向かったのが、たばこと塩の博物館だ。入館料はなんと100円だ。
『西アジア遊牧民の染織』という民族色豊かな織物が展示されていた。そんなに古くなく19世紀中盤から20世紀後半ごろまでに作られた織物だ。塩袋、小物袋、敷物など。合成染料ではない滋味深い色合いがいいね。手織りの歪んだ感じも、作り手の個性が感じられて楽しいものだ。
この博物館の3Fは塩に関する常設展で、2Fと1Fはたばこに関する常設展があって、いずれもなかなか見応えがあった。専売公社になる前の方が、デザインなど味があるなぁとは妻の言葉、やっぱ国営にすると多様性が失われてしまうのかな。
いつもは埃っぽくて人だらけで、個人的にあまり足を向けたくない渋谷だが、気持ちの良い風が吹く、心地よい5月のミュージアム巡りだった。
「松濤美術館」 「戸栗美術館」 「たばこと塩の博物館」
連休最終日、見事な雨上がり五月晴れ、渋谷に妻と出かけて、小規模のミュージアムを巡った。
モーニング・イン・リオ
セルジオ・メンデスの新譜です。じいさん若い。ボサノバやっぱ好きですね。それに、このアルバムは豪華絢爛たるゲストにフィーチャリングされています。どれもカッコいい。途中、ドリカムの吉田美和の歌声が聞こえて来たときには、あまりにボサノバとぴったりなので驚きました。曲目リストは以下。
1. ルック・オブ・ラヴ feat. ファーギー
2. ファンキー・バイーア feat. ウィル・アイ・アム&サイーダ・ギャレット
3. 三月の雨 feat. レデシー
4. オド・ヤ feat. カルリーニョス・ブラウン
5. サムホエア・イン・ザ・ヒルズ feat. ナタリー・コール
6. ルガール・コムン feat. DREAMS COME TRUE
7. 夢見る人 feat. ラニ・ホール&ハーブ・アルパート
8. モーニング・イン・リオ
9. イ・ヴァモス・ラ
10. カタヴェント feat. グラシーニャ・レポラーセ
11. アコーヂ feat. ヴァネッサ・ダ・マタ
12. おいしい水 feat. ウィル・アイ・アム
13. 三月の雨 feat. ザップ・ママ
14. イ・ヴァモス・ラ feat. フアネス
三月の雨がどういう歌詞なのか、付属のリーフレットで初めて知りました。現代詩のような味わい深い歌詞だ。いいね。エリス・レジーナが歌うYouTubeのビデオを以下のサイトで見ることができます。
三月の水(三月の雨) ボサノバ(ボサノヴァ)
追記:
相変わらずボサノバが好きだ。以下のインターネットラジオを良く聞いている。
Bossa Nova - SKY.fm(クリックするとiTunesなどが開きます)
このラジオを聞いていると、ボサノバというのは不思議なジャンルだと思う。
使われている原曲の数がとても少ない。それを繰り返し繰り返し色んな人がアレンジして歌っている。この無限のループ感覚は南国のまどろみに浸る白昼夢のようだ。ジャズのように他のジャンルの曲をも、どんどん原曲に取り入れるどん欲さがなく、スモールワールドで、気心の知れた連中とのんびりと楽しむ。そういう生き方もありか、と現代日本社会とは別の価値観を教えてくれる。それに多くの人が魅かれているのだろう。
西田幾多郎<絶対無>とは何か
私は哲学の本を読むのが好きです。なので色々手を出してはいます。ただ西田幾多郎はさっぱり分からなかった。
この本の冒頭でも書かれていますが、西田の文章は、日本語とは思えないほど読みづらく、わかりづらい。30ページほど我慢して読んで挫折、というのを何度か経験していました。ただ、なんとなくフィーリングとしては、私の考えに近いような気がしていて、いつか再チャレンジ、と思っていました。そこに横から救世主が。
永井均氏は千葉大の哲学の先生で、私は彼の『ウィトゲンシュタイン入門』『<子ども>のための哲学』『私・今・そして神ー開闢の哲学』を読んでいます。どれも、平易な文章でありながら、ドキドキさせる深い内容が書かれています。ファンと言ってもいいかもしれない。彼が西田幾多郎の入門書を書いているのですから、これは読まねばと思い購入しました。結果、期待に違わぬ本でした。以下、私の理解を少し書いてみます。
私(もしくは意識)などというものはありません。経験があるだけです。もしくは経験が、すなわち私だ、とも言えます。こう書いてくると、昨年末にレビューを書いた中村昇の『錯覚する脳』や、ホワイトヘッドを彷彿とさせますが、実際、永井が描く西田哲学は、とても近いところにあります。
「私が、雷の鳴っているのを聞いた」ではなく、「雷が鳴っている」だけであって、それがすなわち私です。「長いトンネルを抜けると雪国」なのであって、「列車が長いトンネルを抜けると」でも、「私が長いトンネルを抜けると」でもありません。
私は、私の中では対象としては位置づける事ができません。何も無いルート(根)にあたります。世界はすべて、そのルートに繋がる枝葉として把握されていて、しかし、枝葉にはルートだけはありません。場所とは、このルートに繋がるすべての枝葉であって、枝葉が広がる場所です。
後半に出てくる汝(あなた)の話も見事です。その枝葉の繁る中に、あなたが出てくる。そのあなたは、少なくとも私の中では、私と同じく何も無いルートに連なる枝葉であって、つまりは根っこに無である私をかかえている。私である場所の中に、無を従えるあなたが含まれているという無限の入れ子構造になっています。
では、あなたを位置づけることができるのは何故か、単に経験だけからなる筈の場所の中に、あなたが現れるのは、概念を扱える言語なるものがあるからです。逆に言えば言語は、あなたという不可思議な存在があるから生まれたものだとも言えます。あなたと言語は不可分です。