航路

コニー・ウィリス
航路(上)航路(下)


ジャンルはSFだろうが、ミステリーと言ってもいいかもしれない。SF味は薄い。上下巻で1300ページもあるが、会話が主体で、ドラマのERのように話がどんどん展開するので、苦なく読める。色々な意味で面白い読ませる小説だ。読み応えのある面白いSFミステリーが読みたければ、文句無く薦めることができる。ただ「泣けた」という人が多数いるようだが、私の涙腺はまったく刺激しなかった。

コリン・ウィルソンの『賢者の石』 を思い出しながら読んだ。『賢者の石』にはボルヘスへの献辞がある。そう迷宮だ。心の中=迷宮というメタファーの物語。そして「日常の死」の物語。

主人公は女性の医学研究者である。彼女は、心停止などを経験した人へのインタビューをしている。NDE(臨死体験)を科学的に解明することが目的だ。そこへ、リアルタイムに脳の活性度合いを計測できる装置を使って、同じくNDEを研究しようとする男性から、共同研究の依頼があり、二人は一緒に研究を始める。

色々な要素がたくさん詰め込まれた遊園地のような豪華な小説だ。それでいて、みっしりそれらが有機的な連携をしていて、相乗効果を上げている。コニー・ウィリスは大した語り部だと思う。

まずは、この医学研究者たちの描写が丁寧で、とても現実味がある。NDEなどという怪しい分野で科学研究をしようとする難しさ、予算獲得、思うようにならないインタビュー、テープ起こしの済んでいない大量の録音テープ、集まらない被験者、焦りと、取り付かれたような没頭、どうも他人事でない。

舞台は私立の巨大病院で、物語の間中、改装工事が行われている。複数の建物から構成されており、途中にペンキ塗り立てや、通行止めが多数ある、酷い迷路になっている。この迷路の設定と描写が面白い。登場人物たちは、この迷路を走り回る。たしかに夢でこういうのが良くある。へとへとになる。

NDEの描写もイメージ豊かで見事だ。ちなみに、天使が出てきたり、故人が迎えにくるといった、いわゆる臨死体験ではない。彼らは、こういったNDEはほとんどが後からの作話である、という前提で研究を進めている。さて、二転三転する仮説に翻弄され、結論はどうなるのか。それは言えないね。もちろん。

また、作品を埋め尽くす登場人物たちの台詞、会話が面白い。ステロタイプのようでいて、その微妙な心の動きを上手くすくい上げている。どの人物も癖があり単純に好きにはなれないが、私はブライアリー先生が一番印象に残った。ちなみに、ネットにはブライアリー英文学集成
http://alisato.web2.jp/book/briary/index.htm
というホームページがあり、この作品に引用されているリファレンスが整理されている。英文学をやる人には、これも楽しみの一つだろう。

さて、ちょっと横道にそれる。先週、私の実家のある田舎町で研究会があったため、実家に帰った。その時に、NHKで放映された山田洋次の『学校IV 15歳』という映画を両親と見た。ちなみに実家のテレビは40インチのプラズマなので、狭い茶の間には邪魔っけで、ずいぶん熱を出すのだが、さすがに映画を見るには最高である。

『学校IV』は、15歳の少年が家出をして、いろいろな人に出会う、とても良くできたロードムービーで、親と一緒に映画を見るのも悪くないな、と思った。その映画の中に、少年が不注意から遭難して、自分の「死」を身近に感じるシーンが出てくる。

多くの人間は、毎日の生活をこなして、一年一年と過ぎてゆく。そうして、簡単には死ねず、老人になってゆくわけだが、そうやって生きていると、安全な道路をゆっくりとしたスピードで走っている自動車のように、危険を実感できなくなってくる。生活習慣病や、腰痛のような緩慢な老化がゆっくりとした歩調で迫ってくるだけだ。すると不思議なことに、生きているということ自体が分からなくなってくる。

少年の頃、私は、そして多くの少年も、自分が走っている道路がどういうところなのか、わからなかった。一度も急ハンドルを切ったことなどないからだ。ところがふとした時、少年達は不注意や、無茶をして、路肩に突っ込んで行く。時々そのまま、あの世に行く者もいるが、多くはその手前で踏みとどまり、路肩から死の淵を覗き込んで、恐怖を感じる。そこではじめて、自分が走っている道の輪郭が見え、意外と道が狭く、前を向いて生きるしかないことを知る。

私が考える日常の死とは、こういうものだ。『航路』では、たくさんのNDEが描かれているが、私のこの感覚との齟齬がなく、その意味で信頼して読める内容である。そして、たぶんこれが『航路』というフィクションの心棒だと私は思う。