星ぼしの荒野から

J.ティプトリーJr
星ぼしの荒野から (ハヤカワ文庫SF)


ティプトリー晩年の短編集である。千歳烏山図書館で、文庫をパラパラとめくっていて、読むのをやめられなくなって借りた一冊。原題は"Out of the everywhere: and other extraordinary visions"である。副題にあるように、普通のレベルを越えた(extraordinary)ビジョンが次々と提示され、ページを繰る手を止めることができない。

上のような表紙なので、実は敬遠していたのだが、表紙とはまるで関係ないハイレベルな短編集だった(というと失礼か。この表紙だから好きという人もいるかもしれない)。ちなみに表紙は、どの短編と関係しているのだろう?どれにも関係ないように思うのだが。(しかし、帯の「愛と涙と感動の」ってのは何だ?そんな本じゃないぞ。)

ティプトリーの小説を読むと、「荒々しい知性」という形容が私の頭に浮かぶ。恐ろしく頭の切れる作家が描く、物理的(Physical)にも、精神的(Mental)にもハードな物語だ。この短編集も厳しい話、様々な災厄が描かれている。特に様々な形で現れる「差別をする者たち」の描写が鋭く、心がえぐられるようだ。中でも地球人の「男」は悲惨な描かれ方をしている。

また、そういった災厄の中で登場人物たちが持つ、切ないほどに強い精神が、キリッとした倫理性を感じさせる。この清々しく、美しいとすら言えるような「意思」の強さがティプトリー作品の魅力だろう。作品の多くは、人類に恨みでもあるのか、と思えるほどに残酷である。しかし残酷趣味ではなく、むき出しの世界が持つ素性としての残酷さに直面していると感じられる。わかりやすい悪者ではなく、世界そのものがメカニズムとして持つ残酷さを、ティプトリーは見過ごすことが無い。

ところでSF、特にニューウェーブ以降のSFは、小説の冒頭から意味の良くわからない描写をする。意味不明な用語をちりばめた断片的な会話や、普通の人間が行くことのない場所の描写などだ。しばらくSFを離れていると、これがけっこう敷居になる。私も最近はあまりSFを読まなくなっていて、多少苦手になっていたが、冒頭の「天国の門」は、気楽な落語のような話で、これが良い準備運動になった。次の「ビーバーの涙」も「おお、わが姉妹よ、...」も、感情を揺さぶられはするが、あまりSF臭くない話だ。

そして最初の衝撃がネビュラ賞を受賞した「ラセンウジバエ解決法」(The Screwfly Solution)である。地球外生命体が人類に施した、ある「解決法」がもたらす恐ろしい災厄をリアルに描く傑作だ。最初のあたりは離れて暮らす夫婦の手紙のやりとりで構成されていて、何が起こっているのか良くわからない、という敷居の高い描き方がされている。冒頭にこれが来ていたら、この短編集を読むのは止めていたかもしれない。しかし、この迫り来るリアルな印象をもたらすには、これ以外の方法はなかったろう。何が起こっているのかは、丁寧に伏線がはられているので、最初の1/3ぐらいで分かる。ただ、分かっていても惹き付ける力が減じることはない。途中、何度かゾクッとするような描写がある。

その後「時分割の天使」 「われら<夢>を盗みし者」で、さらに一歩踏み込んだレベルで準備運動をした後にやってくるのが、「スロー・ミュージック」Slow Musicである。これも何とも形容しがたい見事な短編だ。80ページほどあるから中編と言ってもいいかもしれない。人類がいなくなった地球に残った若い男女が、河と呼ばれる人類が遡って行った場所に向かう話だ。スローライフ風の少女と、都市で暮らしていた少年、二人の描き方の対比が印象的だ。SFでは、現代人とは考え方の異なる未来人を描くことが多いが、下手をすると現代人の価値観を引きずった似非未来人になりがちである。これに対して、ティプトリーは、我々と価値観の異なるさまざまなキャラクターを見事に描く。ティプトリー自身が、この地球で周囲の人類に対し、宇宙人のような違和感を持っていたのではなかろうか。

最後に『ソラリス』を彷彿とさせる「汚れなき戯れ」という切れの良いショートショートを緩衝剤として、「星ぼしの荒野から」 Out of the Everywhereと、「たおやかな狂える手に」 With Delicate Mad Handsという二つの傑作で締めくくられている。たった200ページほどの中に、どれほど広がりのあるビジョンを頭に叩き込まれたろうか。

こうやって振り返ると、この短編集自体の構成が実に良く出来ていることがわかる。読んでいる間は気付かなかったが。やはりティプトリーは凄かったと実感させてくれる本だった。