ゲド戦記

アーシュラ・K・ル=グウィン
ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)


ゲド戦記」を読了しました。


6巻の別巻を読んでから、5巻の『アースシーの風』(The Other Wind)を読みました。良い時間を過ごさせてもらいました。特に4巻以降は初めて読んだので、新鮮な楽しみを得ました。

読了したのは金曜日でして、それから1日半ほどおいた今の私に一番印象に残っているのは、第5巻『アースシーの風』第1章「緑色の水差し」での、じいさんゲドの山小屋生活です。ル・アルビって行ってみたい。何も無いところなんだろうな。

6巻を先に読んだのは私としては正解でした。6巻の最後の「トンボ」は、4巻と5巻を接続する重要な話になっていて、ゲド戦記本編の完全な一部だからです。読まなくても5巻の意味が通じないほどではありませんが。


3巻までと、4巻以降は語り口やテーマが大きく違います。間に20年近い歳月があるのが大きな原因です。そのため6巻全体としての統一感は弱いシリーズになっています。何せ最初の『影との戦い』が出版されてから、6巻が出版されるまでに33年もかかっています。33年の間には様々なことが変化します。

そのかわり多様な要素と、多様な思考や思想を含む、味わい深いタペストリーになっています。小説技法として多様なものを取り込む方法もありますが、このシリーズは期せずしてそうなっています。

3巻までは、ある意味、ル=グインに小説の神様が乗り移ってほとばしり出た、とでもいうような作品です。語り口も神話風で、展開に不思議な必然性があり、ひとつひとつの台詞が得体の知れない深みを持っています。表現は簡潔、象徴的で、イラストのRuth Robbinsの太い線画に良く似合っています。4巻以降は、3巻までの未解決部分を丁寧に探求することで生まれた作品群です。イラストも絵画風で緻密なカラーで、それがあっている具体的な小説になっています。


単一の作品として完成度の高い第一作『影との戦い』(A Wizard of Earthsea)には、作品内で閉じた感じがあります。全巻、通して読んでみて座右に置いておきたいと思うのは、この第一巻です。何回となく読み返して、想像の翼を羽ばたかせてみたいと思う、見事な余白があります。誰かの朗読で聞いてみたいですね。誰がいいだろう。

人気の高い第二巻『こわれた腕輪』(The Tombs of Atuan)は、話としては面白いとは思うものの、私の個人的な趣味とはちょっと違います。ゲド戦記シリーズでは、ル=グインの残酷趣味というかダークファンタジーな色合いが時々顔をのぞかせます。それがこの2巻では多少濃厚です。後は4巻と別巻の『カワウソ』に多少出てきます。もちろん作中の必然性に従って出てくるわけですが、私には苦しい所もあります。

『こわれた腕輪』で印象的なのはゲドの弱さです。聖墓の地下迷宮に閉じ込められたゲドは、普通に脱水状態になって弱って倒れてしまいう。ゲド戦記では、魔法使いがけっこう弱い。それが世界に良い意味でのリアルさをもたらしています。

本質的に何かを変化させたり、作り出したりする力は、相当に難しく、魔法使いといえども、そう簡単ではありません。この世界で、魔法というのは何なのか、というのが全編を通じたテーマの一つです。我々の世界の「技術」、手の技と通じる所もありますが、それだけではない、捉えどころのない独特な要素で、それを、全編を通じて丁寧に描き、謎を解きほぐそうとしています。

そして前にも書きましたがテナーの心理描写が細やかに描かれています。ほとんど一人称と言っても良いくらいで、それが1巻、3巻と大きな違いです。テナーはル=グインの分身なのではないでしょうか。

エンディングの、ハブナー港でのシーンの鮮やかさも印象的です。このシーンは後にテナーの回想として何度も出てきます。

第三巻の『さいはての島へ』(The Farthest Shore)は、残りの4巻以降、特に5巻を生み出すもととなる黄泉の国が出てくる、なんとも不思議な話です。

まとまりは決して良くなく、いろんなミッシングリンクを残したまま話が終結します。深い印象を残す物語で、その語られない部分、我々の世界との違いが心に残って、いろいろな反響を響かせる、そういう作品です。これは作者であるル=グインにしても例外ではなかったのだと後の作品でわかります。この第三巻のもう一つの特徴は、女性がほとんど登場しないということです。これもミッシングリンクの一つです。

アレン(レバンネン)とゲドが、南の海を「はてみ丸」で延々と航海するシーンが強く印象に残ります。


第四巻『帰還』(TEHANU)は、三巻から18年の歳月を越えて書かれています。

最初に思ったのは、語り口が大きく違う点です。現代ファンタジーの普通の小説に近い表現方法になっていて、それまでの神話風、昔話風な語り口ではありません。また2巻をさらに強めた、テナーの心理描写で話が進行し、一人称でないのが不思議なくらいです。読者は常にテナーの視点から話を見続けることになります。

全巻を読み終えた視点から言うと、18年の歳月をつなぐ重要な橋渡しになっています。逆に何故、この巻で完結したとル=グインが思えたのか不思議になるくらいです*1

2巻『壊れた腕輪』から3巻『さいはての島へ』までの間には、アースシーの時間で、少なくとも20年以上が経過しています。25年ぐらいかな。それなのにテナーがどうなったかには一言も3巻では触れられていません。それをル=グインは探索したのですね。

カルガド人(白人)で、生まれてから墓地の巫女としての教育しか受けてこなかったテナーが、放牧や畑作を主産業とするただの農村であるゴント島に行って、うまくやってゆけたろうか。自分の生き甲斐を見つける事ができたろうか。いや、そう簡単ではなかったろう。普通の女性にとっても少女から、中年の女性になるまでの25年というのは色々なことがあるものだ。ましてや、とても珍しい外国人のテナーが村に馴染むには色々な苦労や、彼女なりの生き方が生まれたろう。

アースシーの世界を、少なくとも地球人の中でもっとも良く知っている作者が見つけ出した、テナーの物語です。その丁寧な発掘作業(といっていいと思うが)には、感服するばかりです。

ただのおばさんであるテナーと、魔力と同時に自信を失って抜け殻のようになって、この世にしがみついているといった感じのゲドと、虐待を受けて閉じこもっているテルーという少女の三人が、互いに支え合いながら、昔のゲドであれば魔法でちょちょいとやっつけたような障害・敵を相手に、奮闘する姿は、深く心に残るものがあります。

テナーおばさん、とにかく一生懸命考えて、感じて、働きます。


ゲド戦記外伝の「トンボ」(Dragonfly)は、第4巻と、第5巻の間に起こった事件の顛末を書いた短編です。トンボというのは主人公の女性の名前(通称)で、この女性がスカーレット・オハラというか、大変魅力的です。身長が高く、男勝りで、怖い物知らず、力強く、美しく、それでいて鈍感なやさしさを兼ね備えている。映画のヒロインにあるようなタイプです。

ル=グインは、物語の語り出しが抜群に上手だと思います。どの話も語り出しの自然さ、イメージの喚起力の強さが秀逸で、このトンボの冒頭のウェイ島のアイリア一族の話もいいですね。そこからはじまって、ゆっくりと話が動き出して、ロークでの終局を迎えるまで、短編の構成としても良くできていると思います。細かくは前後の自然なつながりを重視する作家だと思いますが、それでいて全体にこういった見事な構成が実現されるというのは、作家としての資質でしょうね。


第5巻『アースシーの風』(The Other Wind)は、3巻の結論である黄泉の世界に決着を付けるための物語です。アーキペラゴのハード語圏には宗教がありません。そのかわりに魔法がある、といった感じです。魔法は我々の世界で言うところの、科学と宗教が合体したようなものです。生命の世界の背後にある何らかの説明を受け持つものであり、かつ、生命の世界に実行力を持つ技術のもととなるもの。

ル=グインは、黄泉の世界を描いておいて、これは何なのか?と自問自答したろうと思います。私も大変落ち着きが悪い感じを受けていました。死者の魂が語り合う事無く永遠にうろつく霞のかかった世界、低い石垣に閉じ込められた出口の無い世界、そんなものが、死のはてに横たわっているという設定はなんなんだ。クモを倒したからといって、それで、本当に決着がついたと言えるのか。その未決着の問題に真っ正面から決着を着けようとするのが本作です。解決策も大変真っ正直というか、そのままじゃん。

もう一つ、第4巻で何とか生き延びてはいるものの見る影もないゲドは、その後幸せに暮らせたのだろうか、というのも気になる点でした。それにも、大変見事な後日談が語られています。私には第5巻で一番良かったのが、というか全巻通じて一番良かったのが、このゲドの姿です。5巻の最後は、「行きて帰りし物語」の典型をなぞっており、ゲド世界にある種の永遠性を付与するのに成功しています。今もル・アルビの森をゲドは散策しているに違いありません。


全巻を通じて、色々な人の色んな生き方が描かれています。どれが良いとか悪いとかいうのではなく、どれもそれぞれの人の人生です。失敗しても大丈夫です。取り返しはつきます。

ゲド、テナー、レバンネン、テハヌー、オジオンなど主要登場人物の人生もそれぞれに味わい深いですが、その他にも、第一巻のカラスノエンドウ、ヒスイ、セレット、第二巻のサー、第四巻のコケばば、「トンボ」のトンボ、ゾウゲ、アズバー、第五巻のハンノキ、セセラク、など、色んな人生があるなぁ、と思います。話の都合で出て来た、という感じではなくて、それぞれに人生を背負って、アースシーで生きている、と思えます。


最後に外伝に含まれた短編について、「カワウソ」と「地の骨」は第一巻の前の話です。「カワウソ」はそれだけで見事なファンタジー小説と呼べる世界観の広がりと奥深さを持った作品です。ロークの学院がどうやってできたかを語ります。「地の骨」では若き日のオジオンがいい感じで登場します。ル・アルビの家が床ばりになったのはオジオンの助言によるのだとわかります。

残りの「ダークローズとダイヤモンド」と「湿原で」は、本編とは関係の無い短編です。「ダークローズ...」も魅力的な話ですが、私としては「湿原で」が大好きです。趣味として言うなら、ゲド全編の中で、この短編が最も自分の肌に合います。こういう話に出会うと嬉しいですね。


全編を通して読んで、「ゲド戦記」があって良かったなぁ、と思いました。特に3巻までしか読んでいない段階では、まだ自分の中にしっくりと来ていなかったのが、全巻読んで、しっくりと来て、少なくとも私の心の中には、アースシーが実在するようになりました。ちょっと想像力を広げれば、アーキペラゴを旅する事ができます。

*1:第四巻にはゲド戦記最後の書という副題がついていた。