読書感想文「実力も運のうち」 人としての尊厳を踏みつける能力主義

読書感想文

www.hayakawa-online.co.jp

 

学んだこと:

  • 私自身がドグマにしばられていたことに気づいた。
  • 学歴偏重が問題なのは分かっていたが、それは能力を適切にあらわしていないからだ、と思っていた。
  • そもそも能力や功績で、人の扱いを変えることがもたらす「害」が理解できていなかった。
  • 傲慢だったし、その傲慢さに気づいていなかった。

f:id:few01:20210210114410j:plain

 

考えたこと:
 能力、というより、解説にあったように、その人の貢献(Merit)、社会への貢献に応じて、報酬など処遇が変わること自体が悪いわけではない。しかし、貢献の多寡が、その人の「人としての」価値に直結することが、社会に悪影響を及ぼす。この問題は積極的に対処すべきである、ということだ。貢献の多い人に価値を認めることは良い。しかし、この考えを推し進めると、貢献の少ない人には価値が無い、という考えに行きつく。これはまずい、というのがサンデルの主張だ。

 妻が言っていたが、人の価値基準が単純化しすぎているのがダメなのだ、という風にも思う。他の尺度、自分の価値を感じられる別の場所が必要ということだ。

 適切な能力のある人に、適切な役割を果たしてもらいたい、と思う。それは良い。医療行為は医者にやってもらいたい。ヤブ医者ではなく。裁判官には法律に詳しい人がなってもらいたい。

 しかし、必要とされる仕事が減っていっている。海の向こうの労働者に仕事が移っている。コンピュータの自動処理に、ATMや自動レジスターなどのロボットに仕事が移っている。それにより、どの仕事にも向かない人が増えている。そうすると、誰でもできる、ロボットにもできる仕事の価値が下がり、報酬が下がる。市場の原理で。それも生活が困難なほどに下がる。今の世の中、ギャンブルや、サラ金、詐欺が多数あり、それらに騙されたり、嵌ったりする人も多い。そうすると、さらに生活が困窮する。この傾向自体は一般的だ。だから「誰でも」明日は我が身である。いまは裕福な生活をしている人も、ふとした拍子に、そういう劣悪な生活状況に陥る可能性がある。

 しかし、この本が問題にしているのはそこに留まらない。これは格差拡大という良く議論される問題だが、サンデルはさらに根深い問題を指摘している。それが、能力主義が信じられている社会で無能とされることは、「人としての価値が低い」と等しい、という点だ。人間としての尊厳を失うという問題である。

 人は貧乏であっても、尊厳が保たれていれば生きていけるが、尊厳が踏みつけられると生きていけない。現代社会では、そういう事態がそこいら中で起きている。

 この本には書かれていないが、尊厳、ブライド、自尊心、人として認められる、蔑まれない、ということは、集団で生きる人間にとって、極めて根源的な欲求だと、私は考える。マズローの「社会的欲求」「承認欲求」に相当する。

 自然番組、動物のドキュメンタリーを見ていると、集団で生活する動物で、仲間から低位に位置づけられると、餌にありつけなくなったり、集団から追い出されたりして、生命の危機に陥る例が良く登場する。人間の自尊心は、原理的には、これら動物と同じであり、生き延びることへの危機感に根があると思う。

 だから、自尊心やプライドは大人にしか無いわけではなく、小さな子供でも、要介護の老人にも等しくある。誰もが、人として等しく尊重されることを望んでいる。

 本では、能力主義自体はそれほど古い歴史が無いこと、階級社会が否定され、能力主義が台頭して、それほど時間が立っていないことが述べられている。しかし、いまや能力主義は、大統領が演説で繰り返すほどに、現代の常識となった。その悪影響が私達の社会を蝕んでいる。

 どうすれば良いのか。実力は運なのだと、多くの人に納得してもらうのは難しいだろうか。別の尺度でちゃんと「人として認めるのが当然」という社会になればと思う。能力が高いのは、それは良かったね、と。運が良いね、と。ただ、それだけだ。学歴が高いのは、それも良かったね。頑張ったね。ついてるね、と。まぁ、でもそれだけだ。高い能力を持っているね。助かるよ。でも、それは人としての価値とは直接は関係ない、という。役立つのは素晴らしいことだ。が、役立たなくても、人として価値はある。人であるというだけで。そこに生きていてくれる、というだけで価値がある。

 家族に関しては、私達は素直にこの考えに頷ける。娘は生きていてくれるだけで十分にありがたい。欲を言えば健康で、さらに欲を言えば楽しく過ごしてくれればと思う。ただ、彼女がどういう能力であろうと、どういう功績であろうと関係なく、尊い。彼女の人としての尊厳を守りたいと思う。

 競争社会でサバイバルすることと、人を人として認めることは両立できるはずだ。そのために私は何ができるだろうか。