ローマ人の物語 賢帝の世紀 (上)(中)(下)

塩野七生
ローマ人の物語 (24) 賢帝の世紀(上) (新潮文庫)ローマ人の物語 (25) 賢帝の世紀(中) (新潮文庫)ローマ人の物語 (26) 賢帝の世紀(下) (新潮文庫)


三人の皇帝の時代が描かれている。正面突破の武人、トライアヌスが一人目、緻密かつ才能にあふれる歩く人、ハドリアヌスが二人目、そして人望厚く、温厚なピウスが三人目だ。

トライアヌスに関して書かれた上巻は、ほとんど資料が残っていないため、塩野氏は、残された円柱(トライアヌス円柱)に彫刻として残された図版を読み解いて、ダキア戦役を解説している。ここはさすがに、ちとつらい。情報が少なすぎて、具体的にイメージできないのだ。

トライアヌスの話の中で個人的に唯一身を乗り出したのは、小プリニウスとの往復書簡を扱った章だ。地方の行政官として赴任しているプリニウスと、トライアヌス本人との、裁判や土木工事に関する手紙のやりとりだが、互いの肉声の片鱗が伝わってきて面白い。

ところが、ハドリアヌスの話に入ると、ぐっと魅力的になる。あれれという間に、最後まで読み終わってしまった。ハドリアヌス、を私なりにイメージすると、日産のゴーン社長だ。かなり怖い人物のようである。

ハドリアヌスの頃のローマは、イギリス、ドナウ川以南の全ヨーロッパ、さらに北アフリカとエジプト、中近東の一部までを含めた巨大な帝国になっていた。ハドリアヌスは、この帝国の全土を、少人数の建築技師達と踏破している。歩いて、問題点を見つけたら即工事、対策を施して、次の土地に移る。徹底的である。

またローマ法を集大成するという大事業を達成した人でもあり、さらに現代に残る球形のパンテオンを作った人である。そして、あのユダヤ人のディアスポラ(離散)を決定した張本人でもあった。下巻より『皇帝伝』の引用を、ここに引用しよう。


 皇帝は、詩と文学に関しては、なかなかの素養の持ち主であった。数学や幾何学や絵画にも、かなりの水準の理解力を持っていた。そのうえ、楽器の演奏も歌唱も、技能の向上には熱心で、その練習も人に隠れてこっそりやるようなことはしなかった。

 快楽をしりぞける能力だけは、まったく欠いていた。彼が愛した人々のことを歌った、いくつかの愛の詩まで作っている。

 武術の面では、第一級の達人だった。剣闘師の使う、複雑で危険な武器さえも使いこなした。

 性格は複雑だった。厳格であるかと思えば愛想が良く、親切であるかと思うと気難しく、快楽に溺れるかと思えば禁欲に徹し、ケチかと思うと金離れが良く、不誠実であるかと思えばこのうえもない誠実さを示し、残酷に見えるほどに容赦しないときがあるかと思うと、一変して穏やかさに満ちた寛容性を発揮する、という具合なのだ。要するに、一貫していないということでは一貫していたのが、ハドリアヌスの人に対する態度であった。


塩野氏は、この有名な文に対し、一貫していなかったのではなく、厳格な自分の価値観を貫いて、TPOを見事に使い分けた結果であって、まさに「自ら忠実に振る舞うことで」一貫していたのだ、と説得力ある主張をしている。

彼が指名した後継者であるピウスは、きわめて温厚、人望厚く、徹底して保守の人であった。彼については、ほんの数十ページしか割かれていない。何故か。何も起こらなかったからだ。見事に安定した治世であった。逆に歴史家には書くことが無くてつらい人でもある。