神の守り人 来訪編・帰還編

上橋菜穂子・著
神の守り人<来訪編> (偕成社ワンダーランド(28)) 神の守り人<帰還編> (偕成社ワンダーランド(29))

おしまい辺りに心残りがある。惜しいな。途中までは確実に傑作だった。

しかし難しい話だ。読むのが大変だ、とか、理解できないといった読みづらい本ではない。分かりやすいし、面白いが、答えの見つからない話だ。たくさんの人たちの思惑がからんで、正義も悪もないところで、いろいろな登場人物たちが難しい選択を迫られる。政治や民族紛争の話でもある。中央アジア風な舞台もあいまって、イラクアフガニスタンの情勢が重なる。登場する国(主要2つ、関連して別に3つ)や部族の数が児童文学にしてはやたらに多い。登場人物も多く、話が平行して進み、特異な固有名詞が多数現れる。ただ、こういった特徴も主題を語るに自然とそうなったと感じられる、無理の少ないものではある。

精霊の守り人』にはじまる守り人シリーズを読んだ人にはお馴染みの、バルサという30代半ばの女性が主人公である。そして今回はもう一人、アスラという12歳の少女が中心的な存在となっている。

バルサは1m半ほどの短い槍の達人であり、用心棒をなりわいにしている。そのバルサが、幼なじみのタンダという呪術師と一緒に薬草市に出向く所から話が始まる。そこでアスラに出会う。アスラは小柄な美少女であるが、兄のチキサとともに人身売買の手にあった。

カシャル(猟犬)と呼ばれる、密偵集団が良く描けている。親方格の男は、鷹に自分の意識を乗せて偵察飛行をすることができ、この男が前半バルサを追跡するシーンが見事だ。また仲間たちの描写も同様に良く書けている。ただ、カシャルの中で特異な存在であるシハナの造形は今ひとつと思う。

舞台となる世界の細かな生活描写、行商の仕組みなど背景が丁寧に描かれていて興味深い。一種の社会シミュレーションとでもいうような正確さだ。こういう民族とこういう土地があり、このような歴史的背景があれば、どういう問題が発生して、どういう喜びが生まれて、どのような価値観が常識となるか。ここまで社会や風土を描けるファンタジー作家は、国内には彼女しかいない。

さて、私は、この本の面白さと課題を語るのに苦労している。一つは、まだ話が十分に終わっていないためだろう。それなりのクライマックスは経過したが、序章といった印象だ。さらに厳しい未来が待っている、と感じさせる終わり方だ。

私はこれを読みながら、時々、小野不由美の『 十二国記』のことが頭に思い浮かんだ。なお小説の方は読んでいないので、テレビで放映されたアニメーションの方である。舞台や登場人物の設定が似ている。

十二国記』で私が一番気になるのは、作者が登場人物たちに、まるで愛情を注いでいない点だ。一種サディスティックとすら言える扱いで、厳しい。そしてそれがあの話を単なる甘い異世界ファンタジーから決別している主要因だと私は思っている。

それに対して上橋氏は、登場人物すべてに深い、時に深すぎる愛情を注ぐ。上橋氏は誰にも痛い思いをしてほしくないと考えているだろう。主要な登場人物達はみな手を抜かない。登場人物達は、みな止むに止まれず、考え抜いて自分の信じる道を進む。自分の妬みや、こびへつらう気持ち、保身に走りたい気持ち、弱さ、いじわるをしたい気持ち、優越感、甘えなどに厳しい。一種善人ばかりが出てくる話である。だから苦悩が深くない。深くないのが悪いわけではない。文学的ではない、というだけだ。

そのため問題は多くプラグマティックな形で現れる。経済的な問題、伝承や宗教と政治の問題、多国間のパワーバランスの問題、追跡と逃走の技術の問題などである。上橋氏の得意とするのが、このプラグマティックな扱いでファンタジーを語る点だ。だから幻想的な素材が多数扱われているにも関わらず、話そのものの面白さは、時代小説や、冒険小説に近い。

そうか、少し分かってきたぞ。今回の『神の守り人』での、タルハマヤの位置づけが気になっているのだ。タルハマヤはこの小説での最大の幻想的な要素である。タルハマヤはナウシカでの巨神兵に近い存在だ。強力無比で無慈悲な神もしくは怪物である。最後あたり、タルハマヤとの対決が、やはり急ぎ過ぎたのではないか、という感じがする。惜しい。

作者もすでに書く気になっているようだが、ここはぜひ続編を期待したい所だ。私もバルサたちとどこまで行けるか、行けるところまでついていってみたいと思う。


2003/11/05
few01