アナン

飯田譲治梓河人
アナン〈上〉
アナン〈下〉


しばらく前に夢中になって読んで、そのまま怒濤の忙しさにまぎれて、感想を書く暇がとれずにいた。書き始めて見よう、書き終われば投稿しよう。

上下巻あわせて700ページある。なかなか読みでがあり、うれしい。ずいぶん浸って読んだ。とてもいい時間が過ごせたので、得をしたような気分がした。

タイトルは主人公の名前で、彼が赤ん坊の時から大きくなるまでの話である。変な名前だが日本人で、なぜ変な名前がついているかには一応の理由がある。

舞台は日本、東京からはじまる。雪の中、記憶喪失のままホームレスとして暮らす男が立って、空を見ている。雪が降ったら死のうと思っていた。

みんな奇跡を求めている。私も間違いなくそうだ。天才があらわれて、とてつもないことをやり遂げると、同じ人間として感嘆する。その奇跡を味わえるようでありたいと心底思う。寒風吹きすさぶ家への帰り道、iPodモーツアルトのピアノ協奏曲を聞いて、体が冷たい空に引き上げられるような浮遊感を感じるとき、あぁ良かったと思う。

死のうと思っていた男のもとに奇跡が届けられる。それがアナンだ。

下巻から明らかになるのだが、アナンの奇跡は、モザイク職人として具体的に発現するようになる。このモザイク職人、というのがとても新鮮で良い。

作者はドラマのストーリーなどを手掛けた巧者であり、とにかく読ませ方がうまいのは確かだが、なるべくステロタイプでなく、物語の声に耳を傾けているのがわかる好感の持てる作品だ。それでも時々、筆が走っているところがあり、それは個人的には善し悪しに思えた。器用さは時に弱点となる。

この話の中で私が一番気に入ったのは、巨大なクアハウスだ。全面をモザイクで飾られた、ヨーロッパ風の大きなクアハウスである。体をゆったりとお湯につけて、壮大なモザイクを眺める、なんという贅沢か。あ〜温泉に行きたい。

ファンタジー作品として見たとき、『アナン』は大きくリアルに寄っている。それとスピリチュアル小説に近い。それは奇跡と福音の物語だからだ。

良い機会なので、スピリチュアル小説とファンタジーについて書いてみたい。

スピリチュアル小説は、一種の新興宗教のようなものである。作者の多くは、奇跡は現実にありえるし、ある者は体験したと思っている。そして、その体験を多くの人に伝える手段の一つとして小説の形をとる。奇跡を扱う点で、ファンタジーに似ているし、小説の構成でいうと、ファンタジーの一種とも言える。

ファンタジーの場合は、作者の多くは奇跡が現実にありえるとは思っていないし、体験したものは少ない。または、そのような体験をもとに小説を書いているのでもないし、得られた真実を伝承する手段として小説を書いているのでもない。しかし奇跡をあたかも、本当のように小説に登場させるわけで、その意味でスピリチュアル小説と区別はない。

ところで、スピリチュアル小説だからといって、私は毛嫌いしないし、良い作品もある、と前提しておいて、上記二つのジャンルの内部的な違いについて述べてみよう。

それは、作者の志向性の違いである。スピリチュアル小説では、真実はある隠された一つである。そのあらわれ方は多面的であるが、一つの真実の多面的な姿であり、見える者には、その基本が見える、ということが底辺に流れている。それに対してファンタジーでは、世界は基礎からして多面的である。相反するいくつもの流れ、矛盾する要素の入り交じった状態である、という前提に立つ。最も基本にあるのが、現実世界と、架空の世界、という二項対立である。ファンタジーでは、二項はいずれもありえるとする。そしてその二つは一つではない。対立する二項が存在することを前提に、その間の問題を具体的に扱おうとする。スピリチュアル小説では、二項は存在しない。すべては常に一つに解消される。したがって問題は、対立を前提に具体的な対策を施すことではなく、いかに真実を見極め二つを一つにできるか、となる。

この考えが前提になるため、ファンタジーでは種々雑多なものが、矛盾を顧みず平気で併存する。時代的な正確さ、構成的なルールなどは時に無視され、その都度、新しいルールが模索され、設定される。例え、河童と、ゴブリンが一緒に暮らしていてもかまわない。スピリチュアル小説では、すべてが一つの矛盾なき世界観に定着を要請される。ただし理屈が必要なわけではない。そういう美意識、統一感が求められるのだ。

私は、これらの違いから、スピリチュアル小説が全体に構成が平板に思えることがある。逆に、ファンタジーの無節操さにあきれることもある。ところが良いスピリチュアル小説では、その美意識や、統一感が全体を詩的に支配している美しさ、心地よさをかもす。また良いファンタジーでは、荒唐無稽が世界の巨大かつ多面的な姿をこれでもか、と広げて覚醒させてくれる。

さて、振り返って『アナン』は、やはりファンタジーとスピリチュアル小説の中間、少しスピリチュアル寄りという位置付けに変更はないようだ。それもかなり良い作品として位置付けていいだろう。またハリーは間違いなくファンタジー寄りで、スピリチュアル臭が極めて薄いと言えるだろう。


2001/12/11
few01