せかいいちうつくしいぼくの村

小林豊


小林豊氏の講演会に参加した時のことを書いておきたいと思います。『せかいいちうつくしいぼくの村』という絵本を書いた画家さんです。私はもともと参加する予定はなく、飛び入りで聞く機会を得た会でしたので、この絵本も小林さんのことも何も知りませんでした。

住んでいる所の近くに子供たちを相手にした読書会という集まりが複数あります。お母さんたちが主体になって運営している会です。私が参加したのはその地域の大本の読書会がはじまってから何十周年だかのお祝いの会でした。創設者のおばあさんが楽しい挨拶をしてくれた後で、読み聞かせをよくやっている女性が子供たち相手に、この『せかいいちうつくしいぼくの村』という絵本の紹介をはじめました。

後ろの方から見ていると茶色が主体のなにやら中央アジア付近の村の生活が描かれているようでした。農村です。主人公のヤモという男の子がお父さんにつれられて町へ、さくらんぼなどを売りに行くという話のようでした。聴講者のところにその絵本が何冊かくばられて回覧されるのがわたしの所にも来てはじめてその絵本に触れることができました。

村の春の風景からはじまります。山あいの村で桜がたくさん咲いています。人物が小さく描かれた丁寧な絵です。デッサンはしっかりしていますが全体に淡い色彩でやわらかい感じがします。

ヤモはロバをつれてお父さんと町へでかけます。乾燥地帯のようです。村の一歩外は砂漠のような土がむき出しの土地が広がっています。やがて町につきます。たくさんの人がいますが土気色の乾燥した土地です。ヤモはお父さんから、ロバと一緒にさくらんぼを売ってくるようにいわれ、バザールなどをうろうろします。町の風物や店屋の軒先が丁寧に細かく描かれています。乾燥した土地なのにけっこう豊かに食物がならんでいるなと思いました。売り終わってお父さんと一緒に喫茶店のような所に行きます。この店内の影の感じがよく出ていて、その町へ自分も行ってくつろいでいるような気分になりました。その後ヤモにうれしいことがあったりして、でも特段の波瀾万丈もなくヤモとお父さんは家へ帰り、話が終わります。最後のページに、この村は戦争のために今はなくなっていることが短く書かれていました。これは戦前のアフガニスタンの話なのでした。

読み聞かせの会の後に小林氏の講演会がありました。小林氏は白い髭のがっしりした体格のおじさんで、陽に焼けた感じが健康的です。押し出しの強い、喋り出すと熱がこもって止まらなくなるタイプの方のようです。話に力がこもって、子供向けというよりは大人向けという感じの講演会になりました。時々われに帰って子供たちを意識して軌道修正をするなど、下手だけど正直な、まさに彼の絵そのもののような話をする人でした。

話は「水」をキーワードにしたものでした。小林氏は何度もアフガニスタンに行ったらしく、現地の様子をいろいろと語ってくれました。今の世界での水の重要性などが主でしたが、それ以外にいろいろ面白いことを言っていたので、少し書き出してみます。

彼は北緯38度線をめぐっていろいろ海外へ旅をしているそうです。そこにアフガニスタンもあるわけですが。なぜなのか、というと気候的に日本と似ていて、食べ物の感じや人の感じにどことなく馴染むところがあるからだそうです。醸造酒がよく飲まれるのがこの付近です。

その中でも、なんでアフガニスタンによく行くのかというと風景に味があるからだそうです。この風景というのは山川だけでなく、人がいる風景のことを意味しています。一番は日本で、日本の人のいる風景が大好きで、二番目がアフガニスタンだそうです。だった、と過去形だったかな。忘れました。

絵本を書いた理由は、連日アフガニスタンが悪者のように言われていた時期がしばらくまえにありましたが、その頃、彼は自分の好きな国が悪く言われるのがたまらなくて、自分の好きな感じを伝えたいと思って描いたそうです。少なくとも私には、その魅力的な村の雰囲気はよく伝わる絵本だな、と思えました。

最後あたりに絵本の文字が「ひらがな」で書かれていることについても言っていました。ひらがなだと、読み方が行く通りもある。人によって、抑揚の付け方によっていろいろな読み方、ひいてはいろいろな意味が生まれる。それと対照的なのが法律の言葉で、漢字をたくさん使って書かれている。あれは小林氏によると、意味をあまり広げないようにするためだとのこと。絵本の文章がひらがなで書かれていて、いろいろな読み方、いろいろな意味が得られるというのは、これこそが文化なんじゃないだろうか、と言っていました。


2002/9/14
few01