四季・ユートピアノ

佐々木昭一郎
http://www.nhk.or.jp/archives/13nendo/back110.htm


1980年のドラマです。当時テレビで見たときは、印象的なシーンがたくさんあったけれど、幻想的なのを不安に思いました。なんか危ない、というか。その後、再放送で一度見直していて、今回時を隔てて3回目の視聴になります。

すごいドラマがあったものです。とても微妙な心の動きを表現していて、ため息が出ます。たくさんの記憶が重なり合う表現は相当に込み合っていますが、今見ると良く整理されていて、無理がなく見事です。

忘れようのないシーンは主人公が「主よ、人の望みの喜びよ」のレコードを買いに行く所でしょうか。何度も何度も出てくるマーラーの第四番も印象的です。最初に見た頃はマーラーってあまり聞いたことがなかった。

実家にいるころに、妹のピアノの調律のため、時々調律師が来て、音を出していたのを思い出しました。同じ和音を何度も何度も微妙にハンマーで調整しながら鳴らすんですよね。特に低音の調整は腹に響いて背骨に応えるような感じがしたのを思い出します。そして栄子のように、最後は一曲弾いて帰っていました。

音の記憶。昨日紹介した、『午前、午後。』の中に、蝉の声の記憶の話があり、印象的でした。蝉の声って夏の間中、始終鳴いているだろうに、あ、鳴いている、と意識として気づくのは、何か環境に変化があって、空白が訪れた時だけだ、という。

「いつもせみは鳴いているはずなのに、毎日聴こえているはずなのに、私の耳に届くのは、いつも何処かへ行って帰って来たあとの静かな時間が流れ始めたとき。」

私は時々、iPodを持って、音楽を聞きながら歩く事があります。いつもではないですが。そうすると、職場からの帰り道なんかで、とても静かな裏通りを通ったりすると、聞いている音楽が妙にくっきりと聴こえて驚きます。そうか、気づいていないけれど、私は色々な音に囲まれているんだ、静かな時間ってけっこう少ないんだ、と気づきます。

帰省して田舎にいって、夜中に気づきます。そういえば車の音がしない。幾晩か泊まると気づきます。救急車が通らない。私が今住んでいる所は、大きな通りと、大きな病院を結ぶ道が近いせいか、良く救急車が通ってゆきます。あの音を聞くと不安です。ただ慣れている。なくなったときに気づく。そうすると、実は私は毎日あの救急車の音の不安感をBGMにして生活しているのだろうか、と思う。

話がドラマからずいぶん離れました。みなさんは、このドラマご存知ですか?


2003/11/30
few01