宮本隆司写真展「壊れゆくもの・生まれいずるもの」


小雨降る中、近所だが気持ち的に遠い世田谷美術館へ行った。宮本隆司の写真展を見るためだ。廃墟の写真を集めた『建築の黙示録』や、解体直前の『九龍城砦』で有名だから、それなりに人が多いかと思ったが、けっこう閑散としていて、やはり写真では客は来ないのかと、多少寂しい感じがした。

写真展そのものは、古い作から最新作まで充実のラインナップで、宮本氏の展示への力の入れ具合がよくわかる、なかなか良い写真展だった。彼の作品にはそれなりに注目して来たのだが、実は一冊も写真集を持たない。何か直球過ぎて私の琴線に触れることがなかったためだ。写真展を見てみて、その直球ぶりは健在であり、逆にそれこそが彼の持ち味であることを確認した。

今回、それら沢山の美しいオリジナルプリントを見て、やっとその直球が私の胸にドスンと来た。曲がっていない。実に気持ちのよい球だ。その直球は、最新作であるピンホールカメラの巨大な深い青い空に吸い込まれてゆく、草野球のホームランのように、私の気持ちも一緒に心地よく、遠い所に連れて行ってくれた。

最初は震災直後の神戸の写真だ。高さ5mほどの巨大な垂れ幕にプリントされた灰燼の景である。ビル群がつぶれ、電柱が飴のように曲がって、建物が道の両側から頭を寄せ合った写真群は、克明だ。あらためて何が起こったのか、しっかりと確認させられる。彼の作品には大仰な所や、もったいぶった所、また詩的な雰囲気といったものが薄い。しかしこのような写真では、その薄さが効果的だ。彼の意図はできるだけ小さくしてあり、そのものが私の目の前に提示されている、という印象を受ける。彼自身、自分の意図など小さなものだと、自覚しているかのようだ。

次は『建築の黙示録』のオリジナルプリントだ。木村伊兵衛賞を受賞した彼のデビュー作だが、私には、物足りなかった。たしかにいいのだけれど、一種自己満足的な印象が拭えない。

そして彼の出世作となった『九龍城砦』である。最初は大した事ない、という印象だったが、見てゆくに従って、いやはや、かなり良い、想像以上に面白い、と変わった。特に九龍城砦全体の空撮写真がすごい。更地になった周りや、新興住宅地の中に、そこだけ、びっしりと密集したボロボロのビル群がある。ちまちました中に膨大な数の人が住んでいるのがわかる写真で、この空撮写真を見ただけでも来たかいがあった。写真を縦に並べたり、解体される様子を映したりといった、宮本氏の作為は大した事ない。子供騙しといっては失礼か。ただ彼の眼力は間違いない。アーティストではなく、写真家としてすぐれた才能をもった人なのだろう。

それまでの白黒写真の部屋から、部屋の角をまがると、深い緑色の写真群が目に飛び込んでくるアンコールワット遺跡群の写真展示室に入った。緑色が美しい。ここでは彼の色に対する感性の直球さが際立っている。石仏たちを正面から映した写真群を見ながら妻の面影がよぎった。遺跡群を覆い尽くす植物は、まるで粘性の高い液体が滴り落ちたようで、そうか植物というのは液体だったのか、と不思議な感想が浮かんだ。

「美術館島」や、「ダンボールの家」も面白かったが、圧巻なのが最新作の「ピンホールの家」だ。とにかくでかい。直接印画紙にピンホールから映し込んでいるため、複製が不可能な、巨大な一点ものの写真である。なんといっても青が、宇宙の青なのだ。深く美しい。四面を深い青に囲まれた展示室でくるくるまわりながら、私自身、そらにダイブしているように感じた。

宮本氏が自分の心棒を見失わずやってきた地平の広がりに感嘆するとともに、自分も強く元気づけられる写真展だった。