ハイペリオン

ダン・シモンズ
ハイペリオン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF) ハイペリオン〈下〉 (ハヤカワ文庫SF) ハイペリオンの没落〈上〉 (ハヤカワ文庫SF) ハイペリオンの没落〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)


これも有名なので先入観が先走っていた。どういう先入観かというと、

遠い遠い未来、いや、大いなる古(いにしえ)の物語を語ろうではないか。全宇宙の覇権を握る、我らがハイペリオン帝国の栄光と没落を、エンディミオン王の勇猛なる戦いの歴史を、いま、また語ろうではないか。

ってな感じだ。

これも全然外れ。まったく先入観というのは役に立たない。

多少あたっているのは、銀河帝国のような、連邦という覇権国家があって、宇宙を支配しているスペースオペラだ、という点だ。宇宙が舞台だが、描いているのはアメリカか。ハイペリオンというのは、その宇宙での辺境にある田舎惑星、遺跡が多数ある怪しい惑星だ。

ハイペリオン』は、そこに巡礼として行くことになった7人の話である。7人はそれぞれ波瀾万丈な過去を背負っていて、それが巡礼に選ばれた理由になっている。それらの理由は、最初はあかされない。その7人の思い出話が上下巻で一つ、一つと明かされてゆく。

この本も大勢のひとに、褒めちぎられているので、今更言うことは、あまりない。たしかに面白い。巻を置くことができない、という小説だ。

思い出話がそれぞれ、話中話になっているオムニバス、良くできた中編を読み継いでいるような感じだ。

最初の話は、ハイペリオンの奥地にいる70人の村を訪れる宗教家の話だ。奥地に入ってゆくまでは、けっこうつらいが、徐々に秘密が明らかになってゆき、怒濤のクライマックスに行くのは、ラベルのボレロだろうか、見事だ。

そして、それぞれの話が、まるで違うテイストになっている。

戦争に次ぐ戦争の話、詩人の波瀾万丈な人生の話、サイバーパンクな探偵物、切々と語られる感動系のSF、など、良くもまぁこんなに多彩な話が書けるものだ。いずれも膨大な過去の文芸作品のリファレンスがあるそうで、小説好きなひとには元ネタ探しが楽しそうだ。

さらに、これだけバラバラだと、多少は玉石混淆でまとまりに欠けるというのが普通だが、そこが、この本が50年に一度の傑作と呼ばれる所以で、どれも完成度が高く、それでいて、ハイペリオン墓所、シュライクというキーワードに収斂して行くところは、また見事だ。

さて、多分、本当は『エンディミオンの覚醒』まで読んでから書くべきだとは思うのだが、私にとって、ここまで読んで、多少残念な点を書くとすると、テイストが好みでないのだ。

エンターテインメント、ストーリーテリングとして見事だと思うし、構想力のすばらしさも文句ないのだが、文体や世界観が脂っこい。

膨大な量のSFを読んだマニアや、逆にSFになじみの無い読者なら、問題ないのかもしれない。ただ、私はまだSFに素朴なセンスオブワンダーを求めているのだな。一番たちの悪いSFファンかもしれない。

私にとって、ここに描かれているのはSFではなくて、SFの道具を使って描かれたドラマだ。どの道具も相当に手あかがついていて、新鮮味が感じられない。曰くどこでもドア、ワープ、ウラシマ効果、時間の遡行、人工知能、アンドロイド、などなど。

ダン・シモンズは、もちろんそんなことは百も承知で書いている。それはわかるのだが。

この感覚は、ネオファンタジーを読んだ時の感じに似ている。ネオファンタジーでは、出てくる道具はファンタジー小説で過去何度も出て来たものを、贅沢に惜しげもなく使い回す。作者たちは、それらが手あかにまみれていることをわかった上で、ファンタジーを描こうとする。

私はまだ現代にファンタジーは可能だと思っているし、SFも可能だと思っている。『ソラリス』を読んだ後だから、余計にそういうことを考えるのかもしれない。