錯覚する脳とホワイトヘッド(その3) 人間の目と色

錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だったホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)


これまで赤いとか青いとか言っていたけれど、それは、人間が見てそう思う、ということだ。人間の目を無視して色を名づけることはできない。「700nmの波長の光」と「人間の頭の中の赤」が一致しているから、700nmの光は赤い、ということになる。

ここで三原色というのが出てくる。三原色そのものは美術などで習ったことがある人が多いだろう。しかし三原色の本質を理解している人は必ずしも多くない。人間の目の中には、赤の光が入ってくると、強く反応する細胞がある。赤にビビッと来る細胞だ。この細胞があるおかげで、人間は赤い色を見分けることができる。人間の目には、緑の光が入ってくると、強く反応する細胞もある。また青に強く反応する細胞もある。ところが黄色だけに強く反応する細胞というのは無い。では、なぜ黄色が見えるのだろう。

人間の目には、赤と緑と青に反応する細胞しかない。もちろん赤といっても700nmの波長の光にだけ反応するのではなくて、周辺の色(橙色や黄色にも)幅広く反応する細胞だ。おおよそ400nmから700nmまで幅広く反応するが、600nmぐらいで最も強く反応する山なりのカーブになる。

緑や青に反応する細胞も同じように山なりの反応をするので、黄色い光が入ってくると、赤に反応する細胞と、緑に反応する細胞が両方とも反応して、その強さの違いから黄色だということがわかる。

つまり人間は、三つの細胞の反応の強さしか分からない。

私たちは色を見ている、と思っている。というか、そうしか見えない。赤い薔薇を見て、赤い、と感じる。ところが、それは三つの細胞の反応の強さを感じているだけだ。赤、緑、青の三つの細胞の反応の強さを、例えば数字で表すと、色を見ているのではなくて、3、1、1という反応の強さを感じているだけだ。

「おー、大変美しい赤ですね」というのは「おー、大変美しい、3、1、1の強さですね」ということになる。

じゃ逆に、赤、緑、青に強く感じる細胞に、3、1、1の強さを与えると、どうなるか「おー、大変美しい赤ですね」となる。

人間の脳が反応しているのは、この細胞の反応の強さでしかないので、細胞が同じ反応をすれば、色が見えてしまう。コンピュータのディスプレイや、映画、テレビ、デジタル写真は、この原理を使っている。

純粋な赤の波長の光で、黄色や緑が含まれない光があったしよう。プリズムで分解したような光だ。もしくはレーザーとか。同じように緑だけの光を用意する。

さて、その赤だけの光を1の強さ、緑だけの光を1の強さで、同時に人間の目に見せるとどうなるだろう。光の波長としては赤と緑だけが含まれている。プリズムで分解すると赤と緑だけの虹になる、そういう光だ。目に入った光は、赤に反応する細胞と、緑に反応する細胞をおなじくらい刺激する。すると、人間は「おー、黄色だ」と感じる。もちろん黄色の波長の光を見せても、人間は黄色を見たと思う。ところが、黄色とは似ても似つかない、赤と緑の二つの光が混ざったものを人間は黄色と感じてしまう。

そう。赤と緑を混ぜると黄色になるのではない。人間が黄色と勘違いしてしまうのだ。

三原色というと、色の素(もと)が、赤、青、緑だと思っている人がいる。実は色に素なんてのはなくて、人間の眼をだますのに必要な最低三つの色が、赤、青、緑ということだ。これが三原色の原理だ(光の三原色)。

テレビを虫眼鏡で見たことのある人は多いに違いない。赤、青、緑の点々が並んでいる。これを離れてみると様々な色が鮮やかに見える。テレビから離れるにしたがって、色が突然出現するのではなくて、人間の眼が赤、青、緑の点々を区別できない細かさになると、それらに刺激された別の色が脳内に浮かび上がってくる。

(実際にはテレビもPCモニタも、単純な赤の波長というわけではなくて、赤を中心として、その周辺も含んだ光になっているため、赤と緑だけが発光した場合に、黄色を全く含まないというのは正確ではないが、原理的には正しい。)