錯覚する脳とホワイトヘッド (その2) 物の色

錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だったホワイトヘッドの哲学 (講談社選書メチエ)


真っ暗な部屋の中だと物は見えない。見えるのは自分から光を出している物、つまり明かりだけだ。部屋の電気をつけると物が見える。だから物の色は、明かりから出た光が、物の表面や内側で反射した光の色だとわかる。では物の色は、明かりの色と同じか、というと、そういうことはなくて、色々な色がある。

最近、生で見ていないけれど、薔薇(ばら)の花というのがある。赤い薔薇の花びらは、赤い。生で見ると、その迫力というか妖艶(ようえん)さが迫ってくるような色だ。この赤というのは、明かりの色が花びらで反射するときに、赤い光、つまり波長の長い光を良く反射して、青い光、つまり波長の短い光はあまり反射しないので赤く見える。この光の反射の特性を、分光反射率(ぶんこうはんしゃりつ)というけれど、この言葉は知らなくても良い。

物にはそれぞれ、どの波長の光は吸収して、どの波長の光は反射するかという性質がある。その特性は、例えば600nm以下は一切反射せず、600nm以上はすべて反射する、というような潔いのではなくて、グラフで描くと、ぎざぎざした曲線になるような、複雑な反射をする。つまり、もともとの明かりが、色々な波長の光の集まりであったので、反射する光も、色々な波長の光の集まりになる。

プリズムで分解した赤色と、薔薇の赤色は、だから同じ赤でも大分違う。薔薇の赤は、700nmぐらいの波長の光を中心として、たくさんの光が混ざった光の色だ。物の色が、明かりの色によって変わるのは、これも皆良く知っている。料理は蛍光灯じゃなくて、白熱球の下で見たほうが、ずっとおいしく見える。なぜかというと、物の色は、明かりの色が反射しているのだから、明かりの色に無い色は、どうやっても反射しようがないからだ。

赤が含まれていない明かりで、赤い物を照らしても、赤が反射しないから、赤く見えない。赤いのに赤く見えない。太陽の光には、人間が目に見える色が全部入っているので、赤い物が赤く見える。これは太陽の色でもある。太陽の光の中から、薔薇が赤い色を選んで、我々に届けてくれているのだ、とも言える。

色々な明かりの下で、物の色がどういう風に見えるかは、この波長ごとの反射の性質がないと、わからない。分光光度計(ぶんこうこうどけい)という機械があって、これは安くても何十万円、高い物は何千万円という高価な機械だけれど、これを使うと、この反射の性質を細かく調べることができる。私は触ったことがない。

さて光の性質としての色の話はこのくらいにして、次から、人間の目と、画像の話に移る。ここからが本番だ。

(つづく)