黄金の羅針盤

フィリップ・プルマン


『黄金の羅針盤』の感想を書こうと思っていたのだが、ちょっと気になる点があって遅れていた。その上、まだこの一冊では話は終わっていない。全部で三巻で完結するらしいのだが。

感想を書く助けになるかと思って、とりあえずWeb上で感想を探してみたら、あるわあるわ。ただし内容を説明した文が付いているので、まだ未読の方は注意されたい。少々中身がわかったからといって面白くなくなるようなやわな小説ではないが、なるべくフレッシュな気持ちで読むにこしたことはない。

どれも似たような説明文と誉め言葉が並んでいるので、差違は少ないのだがあえて一つ選ぶとすれば、最初の神宮氏の書評がよい。


http://www.hico.jp/sakuhinn/1a/ougo.htm
神宮輝夫氏

http://www.hico.jp/jihyou/dokusyojinn/99/9912.htm
読書人時評

http://member.nifty.ne.jp/nonnon3/book0003.html#315
ノンノン氏

http://www.asahi-net.or.jp/~wf9r-tngc/rasinban.html
積ん読パラダイスでの書評

http://www.netpro.ne.jp/~banana/29.htm
こざる図書館


実を言うと、私は最初の50ページは辛かった。世界に入れずに苦労した。設定があまり魅力的に思えなかったし、話の展開もありきたりに思えたのだ。話の前に、著者が書いている次の言葉もわざとらしくてあまり好きでなかった。


 「黄金の羅針盤」は、全三巻から成る物語の最初の部分をなしている。
 この第一巻の舞台は、われわれの世界と似た世界であるが、多くの点で異なる。
 第二巻の舞台は、われわれが知っている世界である。
 第三巻は、各世界間を移動する。

ところが、100ページあたりから急速に面白くなってゆくのだ、これが悔しいことに。第一部のオックスフォードが終わるころには、すっかり入りこんでしまっていた。分量も内容的深みもあって、たいへん良い時間を過ごさせてもらった。

以降は、どういう魅力を私が感じたか、と、どこが気になっているかを書いてみたい。なお第一巻のエンディングを含めて内容に踏み込んだ話をするので、未読の方はご注意。


最初の舞台はオックスフォードだが、その範囲ではあまり魅力的には思えなかった。全体として淡々と描写されていて、映画などでイメージを得られる古い大きな建築物程度の印象しかない。出てくる小道具も描写が少なく、モノはモノとして出てくるだけだ。抽象的というか、記号的に表現されている。私はモノがモノ以上の質感を与えてくれるような表現が好きなのだが、これは全然違う。

主人公であるライラという少女も特段には魅力を感じさせない登場の仕方をする。ダイモンと呼ばれる守護精霊は、彼女の場合、リス?などの形態らしいのだが、その組み合わせもさして魅力的ではない。この掴みのそっけなさは、現代エンターテインメントを読み慣れた私には、かなり独善的とも言えるオーソドックスさだ。しかし読み終わって振り返ってみて判断するに、実はこの文体は必然であったように思える。

最初に学寮長によるライラの叔父の毒殺未遂や、皆が驚愕する叔父の探検報告会という事件が起こり、ずっと物語を引っ張って行くことになる。しかしその事件自体もなんというか、他愛ない。ありきたりだ。ライラの叔父、学寮長など幾人もの主要な登場人物が現れるが、それらも、むぅ、ステロタイプに見えるのだ。このあたり上手なんだか、下手なんだか。これも実は後で二ひねりばかりある。

その後ライラの日常の話題に移り、少しづつ世界が立ち上がってくる、ただし実にゆっくりとだ。単純な二元論的世界ではない事が知らされながら、ゴブラーが出てくるあたりから、話に緊張が満ちてくるが、それも魅力というほどではない。そして第三の重要人物、コールター夫人が出てきて、話がぐいぐいと動き始める。この辺りだ。この辺りに最初の魅力的なポイントがある。

コールター夫人というのは、ライラを一目でとりこにしてしまうほど魅力的な女性なのだが、実は悪い人で、というか、美しく、優しく、独善的であり、アグレッシブ、残酷、そして自信にあふれる、「いい女」なのだ。側によると火傷をしてしまうタイプの女性だ。この人物の登場で一気に物語に花がさく。そしてこれをきっかけに、コールター夫人に勝るとも劣らない魅力的な登場人物が次々と登場してくる。

さらに最初にステロタイプな形で登場してきた、学寮長、ライラの叔父、そしてライラ本人も、それらとの対比、つながりの中で魅力が引き出されて行く。ここが大きなポイントだと思う。

中でも後半、ライラが霞むほど活躍するアーマードベアの魅力は大きい。私の印象としては侍(さむらい)だ。

そしてこれら登場人物の魅力が開花してゆくのにあわせて、舞台も広がりと魅力を増して行くのだ。オックスフォードから、ジプシャン達の湿原、海、北の街、そしてスバールバルへ。物語の魅力の一つに主人公と同じく世界を体験することができる、というのがある。この物語はそこが上手い。


さて、どんな良い話も、読む人の数だけ好みは分かれるものだ。

物語の中で、神学にからむ政治の話が入っているのだが、私には最後まで今ひとつその背景がすっきりしなかった。たぶんまだ書き込みが足りないのだと思う。全三巻を通じて重要な背景であると思うので、通読して何かが残れば良い、とは思うのだが。そして、それにからむ重要なアイテムである「ダスト」に関しても実はいまひとつすっきりしていない。ダストが何か、どういう役割を果たすか、については一応の解説があるのだが、興味を覚えるほどではなく、二巻以降に持ち越されている。

ここで思うのだが、この著者は、予告編的な面白さ、期待を抱かせる事が実に少ない。複線がはられていないわけではないし、それなりに思わせぶりな情報もいくつも提示させられているが、ちっとも魅力的でない。まだ見ぬ期待感の持つ効果が現れるのがいやなのか、それとも単に小説を書くのが下手なのか、それはわからないのだが。

そこでライラの性格について書かれた本文中の文章を思い出す。ライラは夢見がちでなく、想像力に乏しい、と書かれている。だからこそ危険や恐れを感じることなく、冒険に飛び出せるのだ、と。こんな事を小説中で書いているのは初めてお目にかかったが、これはこの小説の書き方にも通じる所があり、もしかするとフィリップ氏のスタイルそのものなのかもしれない。

まずは動いてみる。意志に基づいて行動してみる。そこに物語が開けるのだ。もやもやと想像したり、あぁでもない、こうでもないと考えを捻るのでなく。

これら神学やダストなどと異なり、第一巻で多数のページが割かれ、たぶんもっとも重要な話題となっているのがダイモンである。ダイモンの説明や、持つ意味がいろんな例示やストーリーで語られ、その現代的な意味が明確に浮かび上がってきて興味深い。この世界ではダイモンは人間の器官の一部のようなものであり、ダイモンなしの人間は、すでに人間とさえ言えない。

我々の現代社会では、誰もが孤独と戦って生き続けている。人間は生まれながらにして独りだ。独りであることに耐えきれずに死を選ぶものもいるほどだ。自分とまわりの人間、親・兄弟、友達、動物、植物、などの外部世界との関係をどうするか、これが成長する人間のもっとも大きな課題だ。我々の世界では崩せないこの2項対立(自分と周りの世界)に、この物語ではダイモンという要素を加えることで、その境界の持つ意味をより具体的に鮮明に立ち上げることに成功している。

最後にエンディングについてだが、筆の走りのようなストーリー展開には少なからずがっかりした。予定調和的な、何がいいたいのかわからない感じがした。しかし、続きがある、という。だからまだ、判断はできない。アスリエル卿とコールター夫人について十分には説明されていないから。

何はともあれ続巻が待ち遠しい。願わくば時間をゆっくりかけて、良い時間を得られる作品を作って欲しい。


2000/4/13
few01