鬼の橋

伊藤遊(ゆう)


じみな表紙の児童書だ。黒を基調に茶色で古い木造の橋が描かれている、数羽のカラスが配されていてさびしい。そこに赤く「鬼の橋」と毛筆のタイトルもたいへんじみで古臭い、普遍的、ともいえる。それだけに普通なら手にとらないかもしれない。この場合、帯に魅かれた。帯は広告として大事な役割を果たしている。こういうじみな商売っけのない装丁の場合は特に重要だ。「第3回児童文学ファンタジー大賞受賞」とあった。あの『裏庭』が受賞した賞だ。ふむ、と手にとってみる。棚から取り出して見ると、河合隼雄の簡潔で的確な推薦の言葉だ。しかしまだ迷っていた。めくってみる。挿し絵があの太田大八氏だった。良い挿し絵だ。平安時代の話なのだが、その歴史を感じさせる意匠を的確に配置しながら、モダンなグラフィックスセンスと、ユーモアが同居した、丁寧な猫線の挿し絵だ。レジにぐっと心が近づいた。しかしまだだ。

「受賞」ということは新人だろう。だから文章にはあるていどハンデを考えて読んでもいい、と思いながら、冒頭を読み始めてみた。ところが少年時代の小野篁(おののたかむら)が鬱屈した気分で現れる文章の隙のなさ、それでいて嫌味がない。くやしいが上手い。平安時代を描いているのだが、古典にまみれることなく現代の読者を想定して、嘘をあまりつかずに物語世界を描き出してゆく読みやすさ。なかなかである。なにより安心して読める。これならば浸らせてくれる、そう確信して購入した。

実際に読みおえて、その確信は間違っていなかった。舞台が鬼の橋周辺から広がることなく、狭い範囲の物語であるのが少し残念だが、それを補ってあまりあるわくわくする、それでいて深い話だ。なにより鬼の心理への描きこみの深さが唸らせる。河合氏が推薦するはずだ。

読んでいる途中ではあまり気付かなかったのだが、読み終わってみると、古典に題材をとったにもかかわらず、典型的に現代ファンタジーの要素を持っていることに気付く。やはり作者は我々と共に生きる現代の人なのだ。終わり方も良い。

これを書きながら、また読みたくなってきた。


2000/5/5
few01