ストレイト・ストーリー

デビッド・リンチ


新聞にのった実話をもとにした映画であり、その実話をデビッド・リンチが、丁寧にまっすぐに映画にしている。

七十数歳のアルヴィン・ストレイトが、ある日数百キロ離れた場所に住む兄が倒れたことを知る。彼はそれを聞いて、自分の力で、兄に会いにゆくことを決心する。なぜ自分の力で行こうとするのかはストレイト老人と旅を続けるうちに次第にわかる。

アルヴィンはとても頑固なのだが、それと同時にとてもキュートである。まったく笑顔を見せないし、言葉数もとても少ない。それなのになぜだろう。

彼には車の免許がない。足が悪く両腕に松葉杖をついてしか歩けないし、数分立っていると、しびれて倒れてしまう。でも他人に乗せていってもらうつもりはない。

彼は芝刈りに使っていた愛用の小さな古いトラクターにガソリンや食料などをつめる荷車をつける。町の仲間の雑貨屋でガソリンを多量に買う。娘にレバーソーセージを買ってきてもらう。

ラクターの速度は大人が歩くよりも遅い。

この映画のすばらしいところは、ゆっくりと進むアルヴィンのトラクターとともに映画も歩調を合わせて観客を連れていってくれる点にある。

挿入されている挿話のそれぞれは必ずしも万全ではない。いくつかはいかにもアメリカ小説らしい演出で、極端に言えば水戸黄門のようなもので、わたしにとっては、悪くはないにしてもそれほど感心するものではない。

それにもかかわらずこの映画は、一緒に旅ができる、アルヴィンと一緒にトラクターで旅を経験できるという点で傑作である。『エレファント・マン』のころは演出の「あざとさ」が鼻についたものだが、この映画でデビッド・リンチは映画の持つ「経験をもたらす効果」を信頼して映画を作っている。言ってみれば映画に作らせてもらっている、とでも言える姿勢でのぞんでいる。これは先日紹介した『ユリイカ』とも共通する姿勢で、古典的ながらもっとも現代的な映画作成の手段である。

惜しむらくは『ユリイカ』のように長ければ良かったのにと思う。111分は短すぎる。トールキンが自作『指輪物語』に対して言った唯一の不満と同じだ。

なお、この手の映画ではときに要らぬエピローグや、もったいぶった盛り上げ演出が作品を台無しにするものだが、この映画に関しては一切心配無用である。

さいきん久しぶりに「ハイファンタジー」などという文字を書いたせいで、少し考えることがあった。つまり、ハイファンタジーというのは、「行きて帰りし物語」なのではないかと。どこから行くのか、この我々の生活空間から、どこへ、物語の世界へ。あれは旅をしているのだ。

いわゆる「行きて帰りし物語」と呼ばれるファンタジー作品は、その物語世界へのジャンプのために、補助ロケットをつけているようなもので、目的は同じ。これは最近読んでいる「時代小説の愉しみ」という新書での『半七捕物帳』に関する評論に依拠している。『半七捕物帳』を読まれた方はご存知かと思うが、あれは多段ロケット構成になっている。単純に「行きて帰りし物語」ではないが、読者が(時代小説の場合は)江戸時代へと飛ぶために補助ロケットを設けてあるのだ。そのために『半七捕物帳』は単に時代小説、というのとは違う妙にモダンな印象をもたらす。私は振り返ってみて、これはいわゆる「行きて帰りし」型のファンタジーの感覚に非常に近いと分かった。

さて、そこで映画に戻ると、映画はその映像と音響の力をもって観客を映画の中の世界に連れて行く。もちろん連れて行かれた先でどのような経験をするのか、または十分に経験したと感じさせてくれるのか、は大変重要である。ただ、私はそれ以上にどうやってそこへ連れて行くのか、そしてどうやってそこから戻って来るのか、ファンタジー作品で常に大きなポイントが置かれる同じところに、映画においても、とても重要な要素があるのだと思う。

ストレイト・ストーリー』は、以上のような意味でハイファンタジー型の映画である。同様に『指輪物語』や『闇の守り人』もロードムービーの一種かもしれない。これらには共通の味わい、テクニックがある。作品をよいものにするのに共通する要素がある。しかし今の私にはまだそれが何なのか、言葉で表すことができない。

              • -

ストレイト・ストーリー■THE STRAIGHT STORY ■アメリカ■1999年 ■ドラマ
日本公開日:2000/3/25
上映時間:111分
配給:コムストック 監督:デビッド・リンチ
出演:リチャード・ファーンズワース /シシー・スペイセク /ハリー・ディーン・スタントン /ジェーン・ハイツ /ジェームズ・キャダ /エバレット・マッギル


2001/4/5
few01