それいぬ

嶽本野ばら


そこらにおいてあった派手な表紙の薄い文庫本だったので、手に取って読んでみました。

そして予想以上に苦戦して、読み終わるのにけっこう長い時間かかってしまった。

どうしても鳥肌が立つ、というか生理的に避けそうになるんだな。それで読みすすめられなくなる。


ダイヤモンドよりも硝子玉、生身の人間よりもロボットが好き。ベルナール・フォーコンのマネキン写真、大林宣彦のSFX、宝塚歌劇が好き。乙女のエッセンスとは「紛い物」という一言に言い表わされる気さえするのです。「女性」のレプリカであると同時に「少年」のレプリカでさえある「少女」という存在。乙女とは、現実世界のイミテーションなのです。可愛さや美しさのみを抽出した模造品、いびつでありながらもピュアなアンドロイド。

うみゅう。凄いです。

1992年から1997年にかけてあるフリーペーパーに連載されたエッセイをまとめた本が、待望の文庫化されたということらしい。

いやぁ、見事です。徹底してます。私の本の評価基準に、読んだ後に世界が変わって見える、というのがありますが、この本はその要件を満たしています。様々なありていの価値観をぐらぐらさせてくれます。

この本をまさに「バイブル」のように扱う女性が大勢いるようです。Webで検索してみてわかりました。下手に悪口でも書こうものなら、闇夜を歩けないような雰囲気です。

しかし、やっぱりこれは「乙女」用でしょう。これが好きな男性(作者含む)がいたら、思わず一歩離れてしまいそうです。中原中也は悪くはないけれど、それに心酔しているおじさんには、あまり会いたくないなぁ、という感じでしょうか。

予備校時代に面白い英語の先生がいて、いろいろ面白い話をしてくれました。その中に、「世の中には100%の男とか、100%の女というのはいないのだ」というのがありました。

つまり、みんな何割かの男と何割かの女でできているのだ、と。見た目は男でも、女率が高い人もいるのだそうで。特にそれは不思議でもないし、特殊でもない、と言っていた。先生の話は、さらに続いていて、良くしたもので、自分の割合に応じて好きになる人、出会う人が変わってくるのだそうです。

ま、それは置いておいて、この本は女性ならではの楽しみ、価値観の一つだなぁ、と思いました。作者はかなりに女性率の高い人で、憧れが昇華しているのでしょう。私は彼ほどではないがために、鳥肌が立ってしまうのでしょう。

2002/1/1
few01