ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔

監督 ピーター・ジャクソン
ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔 スペシャル・エクステンデッド・エディション [DVD]


原作の『指輪物語』に強い思い入れがない私ですが、原作とは面白いところが大きく違うな、というのを感じました。そして何が違うんだろう、というのを、どうしても映画を見ながら考え続けてしまいました。

そして私が得た結論は、この映画はファンタジーではない、ということです。

まだ三作目を見ていないので、確信を持っては言えないのですが、どうも私にとっては違うようです。昔使った言葉でいうと、極めて良く出来た「ファンタ物」です。

例えばエント、例えばエルフ、原作を読んだ時に感じた「異質性」とでも言いましょうか、一種オーラ(^_^;)のようなものが、この映画には一切ありません。

ただ強調しておきますが、だからつまらないとか、面白くないなどということは全くありません。とても面白かったし、好きな映画の一つに入りました。特に後述するシーンが見れただけでも私にとって、すごく大きな収穫でした。

また食べ物の質感や、空気感、沼のかもし出す心騒がせる禍々しさ、そういう原作で細やかに私を説得させた印象は、映画では味わうことができませんでした。それは映像と音だけで経験を伝えようとする映画というメディアの限界なのかもしれない、とも思います。

そして一番違うと感じたのは、当然ではありますが、時間感覚です。原作の『二つの塔』では、じれったいほどの動かなさ、なぜもっと機敏に動かないのか、と思わせる時間圧力がありました。映画はとてもせわしない。ものすごく忙しい話になっています。それは、ある意味、映画の中の時間でしかないように私には感じられました。つまり、その時間に私は参与していない。私は、その時間の外にいる。

映画と原作を比べることは、実はあまり意味のないことだと昔から思っています。この文も、その例にもれないでしょう。ただ言っておきたい、と思いました。自分の中のファンタジーを確認するために。

さて印象的だったシーンは、どこかといいますとゴンドールでのフロドとナズグルの遭遇シーンです。

あの瞬間、私はあの場所にいました。心はサムと一緒でした。

ゴラム、ゴクリ、スメアゴルに関してはどうしても行く末をすぐに重ねて見てしまい痛々しさを感じました。私にとって彼はフロドの分身なのですが、映画ではそういう印象は強くなく、彼自身の個性を感じました。そのため多少の違和感も感じました。


2003/3/15
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2003/3/19 追記
(この件について、もう少し展開)

さて、まずはブライアン・アトベリー著『ファンタジー文学入門』からの引用です。


P.59「しかし本当のところは、トールキンの作品は、どのような実験的な作品にも劣らず積極的な読者の協力を求めているのである。作品は、本来ありえないと分かっていることがらにわれわれがたえず同意することを求めており、その同意によってはじめて、物語の中で述べられていることに意味が生じるのである。」

私はこの意見に同感する者の一人です。つまり読む人が自分を広げることで始めて実在感が生まれているのですね。『ロード・オブ・ザ・リング』という映画で思うのは、こういう読者の努力をまるっきり必要としない、という点です。そうでなければ、莫大な興行収入を得ることはできません。プロとして正しい判断だと思います。

しかし、その判断のために、私にとって最も肝心な所が削られているのですね。『指輪物語』を読んでいると、次のような声が聞こえるような気がします。


世界には、おまえにわからないこと、知らないこと信じられないような考え、人々、生き物、風土がある。それを認めるか認めないかは、おまえ次第だが、それを認める力を持つことで広がる世界がある。もし、その気があるのなら、一緒に行こうではないか、新しい世界へ。

ロード・オブ・ザ・リング』という映画は、見事な巨大な箱庭です。箱庭が存在することに、意義を唱える人はいないでしょう。そこでなら変なことがあっておかしくない。しかし本当にそんな世界がある、現実と並び立つ世界があると信じている人がいれば、誇大妄想の類いです。その「あわい」にファンタジーの醍醐味があると私は思っています。


ここで、もう一つ引用します。


「第3回:ファンタジーと現実のあわい(間) 」合原弘子
http://hiroko.gohara.com/shinbun/3.html

合原弘子氏のホームページの中の一つです。シュタイナー教育関連の人ですね。この子育て論に全面的には賛同できませんが、次のようなことが書かれています。

シュタイナー教育でなぜファンタジーが大切にされるかというと、ファンタジーが「見えないものを見る力」だからです。そして、いまここにある現実を超える力は、この「見えないものを見る力」が基盤にあるはずなのです。」

「見えないものを見る力」というと、想像力のことかと思われるかもしれませんが、私はちょっとニュアンスが違うと思っていて、


目に見えるもの、感覚として感じられるものの間に何らかの関連性、つながり、一貫性を見いだす力

と言い換えることができるのではないかと思います。大きな物語を持つことができる力とも言えるかもしれません。

そして、考えて思い付く、というのではなく、つまり「推論」ではなく、自然とそう感じるという「知覚」に近い力であると思います。

ロード・オブ・ザ・リング』は、見えないものもすべて見せてくれました。そのため、私の「見えないものを見る力」が発揮する余地がない。

ここまで考えてきて、私は映画というメディアがあの映画をファンタジーではなくしたのではなくて、監督が意図して、ファンタジーではなくした、のではないかと思います。