ブレイブ・ストーリー

宮部みゆき


読み終わってから、徐々にさまざまなな味わいが湧いてくる本と、読んでから時間がたつにつれ残念な印象が増してくる本がある。これは残念ながら後者だった。

上下巻あわせて1300ページ、10cmの分厚い本であるにもかかわらず、あっさりと読ませてくれた。ベストセラー作家の面目躍如というところだろう。ストーリーの概略は、帯にかかれているあらすじを以下に引用しよう。


東京下町の大きな団地に住み、新設校に通う小学5年生の亘(わたる)は、幽霊が出ると噂される建設途中のビルの扉から、剣と魔法と物語の神が君臨する広大な異世界--"幻界(ヴィジョン)"へと旅立った!(上巻帯より)


さまざまな怪物(モンスター)、呪い、厳しい自然、旅人に課せられた過酷な運命が待ち受ける"幻界(ヴィジョン)"。勇者の剣の鍔に収めるべき五つの宝玉を獲得しながら、ミーナ、キ・キーマらとともに「運命の塔」をめざすワタル。先を行くライバル・ミツルの行方は?ワタルの肩にかかる"幻界(ヴィジョン)"の未来は?(下巻帯より)

ひねりは何もない、このあらすじそのままの直球である。

この本を読んで一番大きく印象に残ったのは、作者の力量と限界だ。とにかく読みやすく、かつ先へ先へと読み継がせる。ファンタジー小説にありがちな自己満足や、不親切なこだわりを避け、丁寧にテーマ性も持たせながら、明るく軽く読ませてくれる。売れる作家の条件だろうと思う。設定に無理がなく、ストーリー進行にも強引さがなく、いたずらにグロテスクであったり、高踏的であったりしない。泣かせどころを心得ており、キャラが立っていてわかりやすい。

しかし私には物足りなかった。あくまでも、これまでの小説やゲームの良い所を集めてきて、宮部流に料理してみせただけに思えてしまった。その腕前は一流だが。

著者は、私が求めるようなファンタジーを書く能力を持たないのか、それともベストセラー作家として、職業作家としてそんなことはできないのか、私にはわからない。娘に先日読んで聞かせた『プー横町に立った家』は私の中から一生消えることはないだろうが、この本は、やがて消えてゆくだろう。


少し立場を変えて、ファンタジー小説史という観点から見た場合、この本には2つの興味深い特徴がある。

この本は典型的な「行きて帰りし物語」であり、行きて帰りし物語には、行く前の場所、行った先、そしてその往復方法、という3点がポイントとしてある。この本の場合は珍しいタイプとして、行く前の場所に大きなウェイトが置かれている。上巻の350ページまでの第一部は、行くまでの話である。それも児童文学が好んで描くどこか空々しい学校生活ではなく、新聞の三面記事のような痛んだ社会が描かれている。主人公、亘はその中で相当に追いつめられ、異世界への旅を開始することになる。この第一部は、全体の中でも良く書けていると思う。ミステリを多数書く著者の自家薬籠中という所か。これが一つの特徴である。

もう一つの特徴は異世界である幻界(ヴィジョン)の描き方である。幻界の成り立ちは小説の謎解きにからむため詳細を避けるが、表面的な特徴はRPGロールプレイングゲーム)の世界の写し絵ということである。旅人、勇者の剣、五つの宝玉、運命の塔、怪物、ドラゴン、真実の鏡など、何やら懐かしい感じすらするゲームの世界である。古いファンタジーや児童文学の作家は、こういったゲーム臭さを真正面から書くことを嫌う。何かひねって、何か新味を加えて、もしくは避けて描こうとする。逆にゲーム系のファンタジーではそういったアイテムを無反省に使う。新味を加えるとか、避ける必要性を感じていない。そのためどうしても同工異曲に陥ってしまう。

著者はRPGの要素を正面から取り入れながら、アクロバティックに辛うじてファンタジーを実現させている。これはとても珍しい。

現代ファンタジーは、まず第一に指輪物語以前と以降に分けられる。次にRPG以前と以降に分けられると思っている。ここでRPGとはウィザードリィにはじまり、ドラゴンクエストや、ファイナルファンタジーにいたる多数のビデオゲームである。そしてたぶん第三にハリーポッター以前と以降という区分が来ているのだろうと思う。

宮部は第二の区分、RPG以降の作家である。勇者の卵としての主人公、試練、成長、魔法、剣、怪物との戦い、人間以外のサブキャラクターたちなどの共通知識を持っている。ファンタジーを書く場合に、それらの共通知識をどう扱うかを、まず最初に考えなければならない立場にある。今回、自身の力量にものを言わせてとったのは、正面から逃げずに扱うという態度であり、成功していると言って良いと思う。しかし結局その成功は何かを残したろうか。

この小説の中で、私が小説世界に入れたシーンが2つある。一つはワタルとミツルが神社の境内で最初に会話するシーンである。それまでのワタルの生活の描き方が丁寧なため、違う価値観の世界にいるミツルとの違和感が実に良く出ていると思う。もう一つは下巻の最初あたりにあるティアズヘブンでの死の幻影の章である。こちらも辛い描写だが、こういう所になると宮部の筆が冴える。


最後に、大げさな帯について書いておきたい。この本には大げさなコピーの帯がついている。多少の大げさ加減は広告なのだから許せるが、これはやりすぎだ。ファンタジーの帯コピーはやりすぎなのが多くて嫌になる。


上巻のコピーより:
「勇気と感動の涙をもたらす記念碑的大傑作!!」
私には感動の涙は一滴も流れなかった。これが記念碑ならば宮部という作家は相当に小さい。

「運命に挑んだ少年の壮大なる旅を描いた波瀾万丈の冒険ファンタジー!」
派手ではあるが、決して旅は壮大ではない、RPG風の狭さこそが特徴である。

「全国書店でベストセラー独走中!!」
私も買ってしまったので、売らせ方が上手いのだろうが、次は相当に慎重になると思う。ベストセラーとは空しいものだ。

「愛と勇気の冒険ファンタジー
これは嘘でない。いまどき信じられないくらい真正面である。

「時代の暗雲を吹き飛ばし、真の勇気を呼び覚ます渾身の大長編(ロング・ストーリー)」
これで真の勇気が呼び覚まされるくらいならば、大した暗雲ではないだろう。

「僕は運命を変えてみせる--。」
これは、この本のテーマともからむ台詞だが。残念ながら一番思想的に弱い部分でもある。


下巻のコピーより:
「物語の醍醐味がすべて詰まった圧巻の2,300枚!」
枚数はある。しかし物語の醍醐味はほんの少々しか詰まっていない。軽く読めるのだから、文句を言う筋合いではないが、軽く読める程度の醍醐味である。

「立ちはだかる数々の困難を前に、ワタルの願いは叶えられるのか?」
残念ながら困難を切実に感じることはできなかった。

「感動の最新長編」
感動もやすっぽくなったものだ。

「息を呑み、胸躍る数々の場面、恐ろしくも愛らしい登場人物たち--。前人未到のファンタジー超大作!」
そういう本じゃないなぁ。ファンタジー小説に慣れてしまったおじさんではなく、子供達なら「息を呑み、胸躍る」だろうか。


2003/5/4
few01