クラバート

クラバート


大学生の時にチミーから勧められたのに読む機会をのがしていた本がある。図書館から借りてきた二冊の内のもう一冊『クラバート』がそれだ。

舞台はドイツの西の国境付近、チェコハンガリー近くの湿地帯である。12人の職人と親方が働く、粉引き水車小屋に入った新入りの少年クラバートの物語だ。粉引き小屋は魔法使の修行場である。職人たちは、毎日の粉引き小屋での荷運び、掃除、水車の修理などの作業を行う。親方は乱暴で厳しい。

見事な傑作だ。陰影に富むたくさんの魅力的なイメージが溢れている。心だけ抜け出したクラバートが、ソロを歌う少女の眼を間近に見るシーンなど、あまりの迫真力に読んでいる私も生身に戻れなくなりそうに感じた。世界に入るまでに少し敷居があるが、それを乗り越えてこその、ずっしりとした手応えの読みごたえがある。また民話をベースに、優れた文章技術での情景描写と、新たに組み入れられた二重性を持つ親友や、背景になる力の緊迫感を生むデカ帽伝説などによって、話全体に立体感が生まれている。そのためタペストリーというよりは、木組みの大きな屋城のような印象を与える点も魅力的だ。

名作だろう。しかし今まで読まなかったことが後悔されるような本ではない。いつ読んでも、その時の自分に最良のものを与えてくれるだろう。名作とは、そういうものだ。

大げさな作品ではない。魔法戦争が起こったり、複雑なストーリーが展開されるような話ではない。民話を素材にした、シンプルで太い骨格を持つ話だ。もう一つ、私にとって喜ばしいことに、幻想小説ではなかった。あやかしを弄ぶタイプの話ではない。

プロイスラーの本書に対する言葉を引用する。


ひとりの若者が(中略)邪悪な権力と関係をむすび、そのなかに巻き込まれるが、けっきょく自分自身の意志の力と、ひとりの誠実な友の助力と、ひとりの娘の最後の犠牲をも覚悟した愛とによって、落とし穴から自分を救うことに成功するという物語

このプロイスラーのがっしりとした倫理観が幻想文学の印象をなくさせる大きな要因のように思う。安心できる本だ。作者は一度書こうと思ってから、挫折し、しかし諦めきれずに、しばらくは膨大な資料蒐集にあけくれ、満を持して書上げるのに11年かかったと書かれている。やり遂げる気持ちを失わず続ければ、これほどのものを作り上げることができるのだと、勇気をもらったように思った。

本作はどこを切り出しても見事だが、特に驚いたのが最終章である。あまりの見事さに呆然とした。


2003/7/26
few01