ku:nel (クウネル) 2004/1

http://kunel.magazine.co.jp/


今日の夕方、パンを買うために二子玉川に行った。改装した高島屋にあるPAULというフランスパンの店が目当てだ。行きの電車に乗る前にコンビニでクウネルという雑誌を買った。表紙に釜から出たばかりといったパンの写真がのっている。不揃いな長方形のパンは、釜伸びでひびが入り、ムラのある焼き色がすごくうまそうだ。中を読んで英国カーディフのおばさんパン職人が焼いたものだと知った。(ホームページにその写真が載っている)

しばらく前から時々やっている雑誌の読み方がある。それは、最初のページから詰めて急がず読み続けるという読み方だ。広告もエッセイも飛ばさずに頭から順に小説を読むように読んでゆく。普通なら飛ばしてしまうような所もおっくうがらずに読む。すると今まで自分の興味の範疇になかった新しい楽しみを知る事がある。

もちろん急いでいる時にはできない。電車や飛行機の中や、用もなく入ったカフェ、床屋で順番待ちの間なら、そういう読み方が許される。

私が普通やるように、雑誌を興味のある所だけ、飛ばしながらザックリ読むと、どうしても、読んだ後に多少心がささくれた感じが残る。「時間つぶし」という言葉が似合う時間の使い方だ。

それに比べると、時間の密度が高いような、自分に何かが残ったような余韻が残る。つぶしたのでなく、生かしたような気持ちになる。

二子玉川までの行き帰りの短い車中で読んだ。最初の特集は「おいしくいれるコーヒー新聞」で、妙な記事だな、と思った。まったく聞いた事のない人たちのコーヒーにまつわるインタビュー記事が載っている。例外はカフェ・ド・ランブルのご亭主ぐらいか。どういう基準で選ばれた人々なのか、みなバラバラだが、なんとなく頷かせる一家言を持っている。面白い。

次の記事「おせちを支度する」を読みながら、写真やレイアウトが、「暮しの手帖」に良く似ていると思った。
http://www.kurashi-no-techo.co.jp/contents/home.html
写真の色合いといい、白を基調としたレイアウト、それに扱っている題材が、そう思わせた。次の「ウォルシュ・ブランケット」の記事も似ている。「鍋つかみ」の記事も強く暮しの手帖を彷彿とさせる。

ただ、暮しの手帖のような、きちんと立った背筋ではない。記事の錬成度もあえて甘く、ゆったりとしてある。ぼんやりとした曖昧な空白の多い記事になっている。暮しの手帖の削りに削った行間に余韻の感じられる文章とは対照的だ。

なかなか良い雑誌だ。広告がそれなりに入っているので、680円に押さえられている。長く続いてほしいと思う。