13歳のハローワーク

村上龍
13歳のハローワーク


NHK村上龍がインタビューを受けているのを、たまたま見た。その数分で、それまでこの本に対して抱いていたイメージとは違う印象を持った。それまでは、我が家には13歳はいないし、私自身も職業ガイドが必要な状態ではないし、もし私が転職を考えるにしても、この本では役に立たなかろうと、つまり実用性はないと思った。また書店で立ち読みしたことはあったが、はまのさんのイラストは私の趣味でなく、また村上龍の暑苦しい感じが重なって、どこをどう押しても私の興味を惹く事はなさそうだった。

テレビを見て私の印象が変わったのは、村上龍の語り口が、しっかりと正直だったからだ。昔Ryu's Barで見ていた彼とは、同じ顔で同じ声だが、言っている事がずいぶん違うように感じた。数分の話なので、ほんの二言三言ぐらいだったが、どれも腑に落ちる事を言っていて驚いた。そこで読んでみようと思い、近所の本屋で平積みにされている本書を買った。

2600円で、455ページの子ども百科といった体裁の本だ。実用でない本(私にとって)にしては、高価なのでちと躊躇したが、買ってみた。頭書きの所を多少の鬱陶しさを感じながら読んで、読み始めたら、面白くて、止まらなくなって、結局最後まで通して読んでしまった。

「花や植物が好き」とか「音楽が好き」、「乗り物が好き」など、好きな事が何かを足がかりにして職業に迫る、という構成になっている。例えば、「生活と社会に関係する職業」の中に「おしゃれが好き」があって、中に「スタイリスト」の項がある。それぞれの項では、最初の一文もしくは二文程度で何をする仕事なのかが書かれ、次にどういう能力や技術が必要とされるかが書かれている。そして就職する方法がまた1文ほどで書かれ、付帯事項や注意点が添えられる。

スタイリストは10行でまとめられている。たった10行だ。まだスタイリストなどは多い方で、私が該当するであろう所は、「メカ・工作が好き」の「エンジニア」の項になるのだが、ここはすべてのエンジニアをまとめて18行である。大学の工学部を出た連中はほとんどが、この18行に入る。


読む前は単なる職業ガイドかと思っていたのだが、まるで違う。この本は、もっとずっと先鋭的な試みだ。


まず最初の1、2文で書かれる職業要約が良く書けている。私はとてもじゃないが、こんなに短く適切に紹介することはできない。また自分の専門に近い所に行けば行くほど、書けない。ましてやエンジニアをまとめて18行なんて、そんな事は不可能だ。では間違った事が書かれているか、というと、いくつか細かいミスはあるようだが、概ね本質をついている、と私は思った。少なくとも私の専門に近い分野に関しては嘘はない。たとえばIT業界に関してインタビューを受けている伊藤穣一は、技術力が無いため、ネットおたくには、あまり評判の良くない人だが、外にわかりやすく伝えるという点では、優れた伝え手だ。

読みながら、この本を、辞典やハンドブックのように、複数のライターが書いた物を編集者がまとめるという形式で作ったら、どうなったろうかと思った。ちなみにこの本は調査には複数の人がかかわっているらしいが、著者は村上龍ただ一人であり、彼の思想や主張が、どの一文にも明確に現れている。もし、複数のライターが書くという作り方をしたら、間違いは少なくなるだろう。調査もより行き届いたものになるだろう。しかし、この面白さは、まず間違いなく出ないだろう。

第一に、どの仕事にしろ、就職方法を1行で書くなど鼻から無理なことはわかっているのだ。しかし「だから書かない」のと「それでも書く」の間には雲泥の差がある。外交官の項には「採用試験として国家公務員I種試験か、外務省が独自に行う外務専門職員試験に合格する必要がある。」と書かれている。一種試験がどういうものか13歳にはわかろうはずもないが、書いてあることが重要だ。

P.390のエッセイの中で村上龍はこう書いている。

ただ、このエッセイでわたしが伝えたいのは、『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見つけておくべきだ』という『アドバイス』ではない。『社会に出る前に自分がやりたい仕事を見つけた人のほうが人生を有利に生きる』という『事実』だ。

みなさんはどう思われるだろうか。私は確かにそうだ、と思った。さらに言えば、何歳になっても遅すぎるということはない、と思う。20歳になっても、30歳になっても、40歳になっても、50歳になっても、自分のやりたい仕事を見つける事ができるかどうかは「人生を有利に生きる」上で重要だ。またはすでに仕事を持っている場合は、自分の仕事の中にやりたい事を見つけるかどうかが重要だと思う。自分がやりたい事が見つからないと、外からの圧力が何倍にも増して重く感じられる。重い中で作業をすると大きなストレスを常に浴びる事になり、健康に良くない。しかしどうやっても見つからない場合もあるだろうと思う。嫌々ながら日々の糧のためにやらざるを得ない場合もあるだろう。ただその時にも、自分のやりたい事に向かっているかどうかが大きな意味を持つ。少なくとも私には、それすらない人生というのは想像できない。

この本は一見「〜が好き」という軽い入り口になっているが、読んでゆくに従って、ここで書かれている「好き」というのは、そう簡単では無い事がわかってくる。単に「スキ」ぐらいでは足りなくて、夢中になって取り組める、まわりからちょっかいが入っても見失う事が無い、というほどの適性を意味する。これは「天職」だということだ。天職を見つけられることほど幸せな事はない。そして天職への入り口は確かに「好き」ということだろう。嫌いな天職、というのはあり得ない。

もう一つこの本で何度も繰り返し語られているのが、「会社に入って勤め上げる」という仕事観からの脱却だ。この点に関しては、かなりジャーナリスティックに、問題意識をもって語られており、ある意味、大きな偏見が入っている。いまだに多くの人の中には「会社に入って勤め上げる」ことを目的として当面に人生設計を考える、というのがある。私もそうだ。村上龍はそれに対して何度も何度も、そういう考え方は古く、すでに合理性を失っていると説く。たくさんの職業について書かれている中で具体的に何度もそれぞれの職業の世界で、そういった会社志向が過去の物だと主張している。

趣味に関して書かれた文章がまた刺激的である。洗練された趣味は老人のものであり、

生き抜くための知識とスキルの習得を目指す若者にとって、趣味と、趣味を歓迎する社会風潮には弊害がある。また、趣味の世界は基本的に閉鎖的なので、お互いに重要な情報のやり取りができて、お互いに刺激を与え合うという人的なネットワークを作るのが難しい。

と書かれている。

私にとってファンタジーや児童文学を読むというのは趣味だ。またイラストを描いたり、写真を撮影したりするのは、たぶんずっと趣味である。イラストレータやカメラマンで飯を食ってゆこうとは思っていない。ただ自分の仕事の気晴らしに趣味をやっている、というのとは違う。根深く私の生き方に関わっている活動だ。私にとっては計算機の研究者という仕事が中心なのではなくて、研究は私の活動の表現の仕方の重要な一つという位置づけで、絵を描いたり文章を書いたりするのもその一つになる。その意味からすると趣味とは言えないかもしれない。

私が村上龍に共感するのは、「楽しい趣味があり、仕事は金を稼ぐだけが目的」になるのは止めた方が良い、という点だ。仕事以外に趣味を悠々自適に持つような趣味人をモデルにしてはいけない、と思う。モーレツ社員や、仕事漬けで無趣味な人間を卑下する風潮があったと思う。その反動で、趣味を持つ事が歓迎される。しかし問題はそこにはない。やりたい事は会社に属しているか否かとは関係ない。私にとって、人間が技術とどううまく付き合ってゆくか、という命題は研究者であるか否かには関係ない。

すでに読んだ人から危惧が寄せられているように、危険な本だと思う。13歳がこの本を真に受けて道を踏み外したらどうするのか、といった意見も多数ある。ただ私は、そうでなくても現代の13歳は危険な所にいるのだと思う。その危険な世代に影響を与えうる力を持つ本に、危険な要素が入るのは、この場合仕方がない。これを読んで影響を受ける事ができる13歳にとって、この本はカンフル剤だと思う。ルビを付けろという指摘もあったが、私は不要だと思う。13歳に媚びる必要はない。小学生とは違う。ルビを付けると文が読みづらくなる。それほど難しい漢字が使われているわけではない。それよりも難しい語句は多数使われており、そちらの方が13歳にとって理解を阻害するだろう。ただし、それらも十分考えた上で使われていて、辞書を引いたり、多少の読解力を読書で鍛えておけば読み解ける範囲である。世の中には、無闇にひらいて表面的にわかりやすくして、実は何も語っていない文章が多数あるが、それよりはずっとましだと思うし、ましな文章を13歳に読んでもらいたいと思う。



追伸 (2006/3/21):
13歳のハローワークには公式サイトがある。
http://www.13hw.com/