ガリア戦記
これが2000年前の本だとは。人間はちっとも進歩していない。
ガリア戦記は、ジュリアス・シーザーこと、ユリウス・カエサルが、2000年前に実際に自分が指揮をしたガリアでの戦いを記録した書物だ。
ガリアは今のフランス、ベルギーとドイツあたりを指し、当時は森林に覆われた未開の土地であった。
まずその文章の見事さに驚く。具体的でとにかくわかりやすい。それでいて単にそっけない事務的な記録ではなく、味わいがあり、深みもある。書いている著者の大きさが桁違いなのだ。古さというものを微塵も感じない。
9年間の戦いの記録のうち、7年目まではカエサルが書いた文章であり、それと『内乱記』の間に空白がある。この本には、その2年間の空白をうめるためにヒルティウスが書いた第8巻が入っている。
この第7巻から第8巻に移ったときに感じる落差の大きいこと。それまでぐいぐいとぴっぱられて来た読者は、この第8巻の冒頭で突然の急ブレーキを味わう。下手糞なのだ。いやヒルティウスが下手なのでなく、カエサルが上手すぎるのだろう。
ヒルティウスのごちゃごちゃと言い訳めいた文章が実にみっともない。私もこういう文章を書いていないだろうかと、思わず反省してしまう。これが普通の人の文章なのだ。
ガリアとゲルマニアが舞台であり、結果としてローマがその覇権を拡大してゆく経緯を描いたものだ。ただ、カエサルはガリア人やゲルマニア人を見下したり、野蛮だと書いたりしていない。彼らには彼らの習俗があり、それはそれで合理的と認めている。またやたら細かく正確に観察している。蛮族をローマ化することで世界を良くする、というような帝国主義的、と現代で言われるような思想がこの書には微塵も出てこない。
これは一種の正史であるのだから、少しはカエサルの行為を正当化する部分もあり、それは膨大な注釈で丁寧に示されているが、ほとんど政治臭、胡散臭さから決別しているのが、また驚きである。
「正義」と口にすると何か胡散臭いものを背負うことになる。カエサルは何も背負わずに自分自身の力で立っている。たしかにすがすがしい。
この2000年間、人間が何をしてきたのかを振り返る意味で、常に立ち戻るべき書物と感じた。