ミステリオーソ

原寮
ミステリオーソ (ハヤカワ文庫JA)


原寮のエッセイ集だ。最近、あまりエッセイは読まなくなっていたのだが、伊豆旅行の友として、こういうのもありかな、と選んだ。結果、なかなか良い選択だった。というのは、旅行中というのは細切れの時間がけっこうあり、その瞬間瞬間に、ちょっとした楽しみを与えてくれるエッセイというのが、思いの外あっていたからだ。小説だと、細切れになるのが辛いところがある。

ジャズと映画、本のことが書かれている。以前から、彼の文章スタイルは、古風な感じがしていたが、この本に書かれている読書歴を知って、さもありなんと思った。


ハードボイルドというのは、一種自己満足というか、思い込みの世界、かな。わからない人には、どうやってもわかりようがない。そのハードボイルドについて、彼が上手く語った箇所がある。チャンドラーの『大いなる眠り』について語っている。引用しよう。

『大いなる眠り』の冒頭に、ある大金持ちの豪邸を訪れた探偵マーロウが、素行の悪い末娘からいきなり「背が高いのね」と横柄な態度で声をかけられる場面がある。これにどう答えるか------難問である。現実ではニヤニヤと照れ笑いをするか、逆に腹を立てるか、そんなところだ。ハードボイルド小説においては、それでは失格である。
(大幅に中略)
ハードボイルドとは、あらゆる難問に答えていく小説だと私は考えている。


毎日暮らしている間に、小さなことから大きなことまでたくさんの問題、例えば昼食で、スパゲッティを食べるかピラフを食べるか、といった問題、に私たちは出会う。

生きるというのは、そういった膨大な問題を大量にこなしていくことだ、というような面がある。

できれば自分に納得のゆくような対処の仕方をしたい、と思う。ただ世の中、そうはいかない。自分に余裕が無い時など、大変不本意な対処をして、後から「うじうじ」と反省することも多い。ハードボイルド小説の主人公は、それを理想的に乗り越えてくれる。現実にはありえない主人公に、自分を投影する。

論理的に正しいわけでも、効率的だからというわけでも、ない、正しい対処の仕方、ということになるわけだが、そのために、解に納得するかどうかは、人による。これは、どういうのをファンタジーとみなすか、に通じるところがある。ハードボイルドはプラグマティズムがベースだが、かすかにファンタジーに踏み込んでいる。そこに正解がある。