刀狩り

藤木久志
刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))


1588年7月8日に秀吉が出した「刀狩令」を、本の説明をもとに、私が適当に現代語訳すると以下のようになる。

第一条 百姓は刀、小刀、弓、やり、鉄砲、その他の武器は所持してはいけない。

余計な武器を所持して、年貢をおさめるのを渋ったり、一揆をしたりする、そんな百姓は、もちろん秀吉が成敗する。でも、百姓が武器を持てば、つい農作業を怠けて、領主の取り分が減ることになる。それでは困るだろう。だから、そうならないように、大名や領主は責任を持って、全部没収して、秀吉のもとに持ってくるように。

第二条 取り上げた刀と小刀は、むだにするわけではない。京都に建築予定の大仏殿の釘などに使う。そうすれば百姓たちは仏様と深い因縁で結ばれるので、この世はもちろん、あの世においても救われることになる。

第三条 百姓は農具さえもって、一生懸命、農作業をすれば末代まで長く幸せに暮らせる。これは秀吉が百姓の暮らしを憐れんで、思いやりでやっていることである。

ところで武器を農具に変えるというのは、中国にも先例がある。唐の王が天下を治めた時に、剣を没収して農器に作りなおして平和を実現した、と伝えられている。日本には、そのような例がないから、私がそのすぐれた故事に習おうとしているのだ。


刀狩令の原本は以下:http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko12/b12_0087/

この本の趣旨は、後で説明するとして、別のところにあるのだが、これを読んでどう思うだろうか?

秀吉っていう男の性格が、じわじわと伝わってくる。私には、良く頭の回る、人心把握の上手い嫌なじじいがイメージされる。

刀狩りというと、もっと強引な印象があったのだが、手を替え品を替えて説得しようとしているように読める。

さて、刀狩りというと、徹底した武装解除という印象がある。この本は、そんなことはない、武装解除はちっとも徹底されていなかった。刀狩令では武器一切と書かれているが実際に提出されたのは、ほとんど刀だけ、それも実際に所持されていた武器のほんの一部だけだったと言っている。

古書をいちいち引きながら述べられているので、多少読みづらいが、具体的に当時の状況がイメージされる。

この本によると、秀吉の刀狩り後も、農民は多数の武器を所有しつづけ、江戸時代にも、何度か刀狩りに相当する活動があったが、それも農民の武器を無くすことには役立っていない。さらに、明治維新での廃刀令でも、相当数の武器が残されたままだった。

実際にかなりの量の刀狩りが実施されたのは、第二次大戦後の占領軍による武装解除によるのが、ほぼ初めてらしい。

こうした刀狩りの実際を、多数の事例を引いて証拠付けながら、なぜ実際には武装解除されていなかったにもかかわらず、平和が維持されつづけたのだろうか、という点に彼はこう答える。

それは農民があえて自律的に武器を封印したためだ。権力者に丸腰にされたのではなく、一般市民(農民)が、自分たちのために、コンセンサスにより、武器を自制したのだ。

著者は今、現代において、この日本人が保持して来た知恵が崩壊しようとしていると言う。たしかにもう一度、刀狩りの実際の歴史に見られる考えを、振り返る時だろう。