博士の愛した数式

小泉堯史
博士の愛した数式 [DVD]


良い映画だ。ただ原作を読んでいない方がより素直に楽しめるだろう、と思った。原作をなぞったシーンは、原作を思い出しながら見てしまう。

原作は、小川洋子の作品の中では特異的に、いわゆる「良い話」になっているとのことだが、それでも私には、やはり少し複雑な屈折した思索が感じられ、それがまた味わいになっている。

対して、映画はもっと素直な描き方がされている。架空的な感じが薄まって、より腑に落ちるシナリオになっている。特に浅丘ルリ子演じる義姉の描写が丁寧で、彼女の心理が良く伝わってくる。個人的には浅岡ルリ子の演技で十分に伝わっていたので、あえて最後あたりの過去を語る台詞は、余計に感じたが。

深津絵里は、原作の家政婦役から十分に想像できる範囲だったので、彼女の芝居をもってすれば大丈夫と思っていて、実際、十分以上だった。どうだろうな、と思っていたのは博士役の寺尾聡の方だが、いや見事だ。私としては、もし存命ならば宇野重吉が適役だろうという気がするのだが、寺尾聡は最近、ほんとお父さんに似てきた。

後半は原作にはない話や、原作にあっても位置づけを変えた話が入っていたが、映画の中に良く馴染んでいた。ところで、この映画ではルートが大きくなって学校の先生をやっていて、その最初の授業で、生徒たちに博士のことを回想しながら話す、というスタイル、話中話にしてある。これは、数式や数列が良く出てくる話を、無理なく映画化する工夫として良くできていると思った。大人になったルートは、吉岡秀隆が演じている。

大変ゆったりしたカメラワーク、シナリオ進行になっているため、見ながら色々なことを考えさせられた。

手描きの線と、概念としての直線の違いから、大事なものは目には見えない。心の中にしかない。って博士が言うのだけれど、これは、星の王子さまのテーマでもあったな、とか。

80分しか記憶が持たなくても、つまり過去を作り出せなくても、今を喜ぶことはできるし、それこそ生きる楽しみなんだ、というのは、『散歩写真入門』『コンパクトカメラ撮影事典』で丹野清志が言っている事と通じるな、とか。

星の輝きが美しいのや、野の草花が美しいのを説明することができないように、数学の美しさを説明するのもまた難しい、というのは、そうだとしても、これらを同じように扱えるものだろうか。薪能(たきぎのう)の美しさは、どこにあるのだろう。音楽の美しさは。

妄想と真実の違いはどこにあるのだろうか、とか。

まだ春は遠いが、来るべき春を感じさせる清々しい映画だった。