MIND HACKS -実験で知る脳と心のシステム-

Tom Stafford and Matt Webb
Mind Hacks ―実験で知る脳と心のシステム


だまし絵を見ると、世界が揺らぐ。


同じ長さの棒の長さが違って見える。
あるはずの無い図形が見える。
止まっている絵が動いて見える。


私たちは、自分の五感で感じている世界が、継ぎ目なく辻褄があっていると、信じている。

自分自身が世界の中にしっかりとあって、それを取り巻く世界のすべての部分、目の前のパソコン、壁、本棚、横の食器棚、テーブル、その上のコーヒーの入ったカップ、そこから漂う香り、スピーカーから流れる音楽、が同時に連続して存在して、時間が継ぎ目なく、とぉとぉと水が流れるように進んでいることを「感じている」。

先日テレビで、テーブルマジックのプロフェッショナルが、芸能人を相手に技を披露していた。腕まくりをした素腕で、大きな銀のコインを四枚左手に持っていて、右手は空だ。そのまま両手を閉じ、一旦手の甲を上にしてから、手の平を開くと、左手のコインは三枚、右手に一枚になっている。その間、数秒。テレビを見ている私にはもちろん瞬間移動したようにしか見えないし、その場で見ている誰も種がわからない。

このマジックの種は知らないが、テーブルマジックの多くは人間の視覚のスキマを使っていると聞く。実は、私たちは自分の視野が常に完全であるかのように「錯覚」している。その完全さへの思い込みはとても強い。だから、コインが左から消えて、右に現れていれば、「移動した」という解釈しか信じられない。

だまし絵は、そういう私たちの視覚のいい加減さを教えてくれる。人間の視覚は中心の5度ほどしかピントがあっていない。他はピンぼけで、かつ周辺に行くほど色もよくわからない。また視点は常に移動していて、視野をあちこちに飛んでおり、移動中の像は脳に届いていない。さらに光が目に入ってから、脳に像が到達するまでには思いのほか時間がかかっており、多くの場合、私たちの視野は、脳が勝手に作り出した予測像に過ぎない。

五感という細い覗き穴のようなものから、ちらちらと世界を覗いて仕入れた、世界に関する、たくさんの断片をパッチワークのように継ぎ合わせて、世界のイメージを脳の中に構成している。


『MIND HACKS』は心(MIND)をハッキング(HACK)する100の断片からなる、子供の科学的な本だ。HACK 1からHACK100まであり、それぞれは、わかりやすい解説と「やってみよう」という簡単にできる実験からなる。ただし子供騙しではなく、ちゃんと引用論文や関連する学術研究サイトのアドレスも記されていて、説明は少なくとも現在の脳科学の水準で確かなものが書かれている。

実験のほとんどは子供でもできるもので、実際にやってみると、とにかく驚く。視覚、注意、聴覚、言語、感覚どうしの関係、運動、推論、記憶など、多数のHACKSが収録されている。日本語版で400P以上のちょっと分厚い本だが、つまみ食いでも十分に楽しめるだろう。

多数の「やってみよう」をやってゆくと、自分自身に対する心地よい揺らぎを感じることができる。なんてまぁ、多くの思い込みに縛られていたのか、と思う。これら思い込みは多くの場合、私の毎日の暮らしを楽にしてくれているのだが、逆に縛りつけてしまっていることも多いだろうと思う。かつて世界の一貫性が揺るぎなかった古代に発達した人間の能力が、この変化の激しい現代において多くのストレスのもととなっているのではないかと感じる。

私が関心を持っている、世界のゆらぎを扱う分野に、ファンタジー現象学、そして認知科学もしくは脳科学がある。いずれもまるで異なるアプローチで、確実だと思っている世界認識に風穴をあけて、より広い世界に連れて行ってくれる。この本は、そういった長い私の関心の中で久々に出会ったトップレベルの本である。


この本で引用されているすべてのリンクは以下にある:
http://www.mindhacks.com/book/links.html