本朝奇談 天狗童子

佐藤さとる
天狗童子―本朝奇談(にほんふしぎばなし)


もし、この本が佐藤さとるファンの踏み絵ならば、私はファンなんだな。面白かった。

読む前は、なにやら漢字の多い、古くさいタイトルで、取っ付きにくいと感じた。また、表紙の絵柄も村上豊の力強いざっくりとしたもので、悪くはないが、佐藤さとるの「郊外の住宅地」的な感じとは違っていて、大丈夫かな、と思った。

そして読みながら一番心配していたのが、ファンタジーなのか、という点だ。天狗の話をファンタジーにできるのか?、昔話や、メルヘンではなく、ファンタジーに。結論から言うと、ちゃんとファンタジーになっている。それも佐藤さとるが定義した狭義のファンタジーに。なるほどな。

中心人物は、笛が上手な与平という山番のじいさんと、九郎丸という少年、舞台は戦国時代の関東地方である。

何が面白かったか、というと、まずは与平じいさんのキャラクターだ。オプティミストで、ほがらかで、手仕事をちゃんとこなす。著者の分身だろうか。くよくよ悩まずに、大事だと思う事に自分のペースで精を出す。

私たち読者は、この与平じいさんを通じて、天狗社会や、当時の戦国時代の世相を知る事になる。天狗社会は一種の異世界だが、与平に、びくびくしたところがないので、気持ちの余裕を持って味わうことができる。

また、この与平の視点を通じて、九郎丸や、そのほかの登場人物を見るのもまたなかなか良い。自分の孫のように好ましく思っている九郎丸を見る視点の暖かさが、ほっとさせられる。

それから与平をはじめとして、出てくる登場人物が善人ばかりというのも、佐藤作品らしい。佐藤さとるの話には、悪人が出てこないのが欠点だ、と言われることがあったと思う。ただ現実世界に悪人は多数いるわけで、わざわざ物語の中にまで浮き世のことをひきずらなくても良いのでは、と、この本を読むと思う。

私の好きな登場人物にジンザという中年の男性がいる。彼の立ち位置なども、話の展開によってはかなり血なまぐさいものになりそうだが、この作品ではそういうことにはならず、彼の深い人となりが良い味合いになっている。

次に面白いのは、天狗に具体的な実体を与えていることだ。天狗は日本古来の妖怪の一種であり、これまで天狗をあつかった昔話や、童話は多数あるが、いずれも正体は良くわからないぼんやりとしたものであった。それに対し、この本では、天狗の姿、魔法、組織、成り立ち、法(ルール)を具体的に設計して、話の中で生かしている。まさに佐藤さとるの定義するファンタジーだ。

このクッキリ感が、話に木組みの構築物のような立体感を与えている。

さて、この話は、天狗の話であると同時に、戦国時代の三浦半島付近の政治的な背景を描くものでもある。相当細かく調べたらしく、かなりしっかりした歴史の流れが描かれている。戦国時代の多々ある騒動からすれば、良くある騒乱の一つかも知れないが、地元の人々にとっては十分以上に大きな「因縁」であっただろう。

さて、ここまで誉めてきて、問題点についても触れないわけにはいけない。最大の難点は、尻切れとんぼだということだ。佐藤さとるじいさんとしては精一杯頑張ったのだろうとは思うのだが、十二章で息切れして、ストーリー全体の流れからするとあきらかに途中で終わってしまっている。最後の4Pは後日談のような語り口になっているが、流れからすると後日談にしてはいけなくて、たぶんあと一冊は本を書かねばならなかった。

それから、もう一つの問題点として、前半にあった叙情的な膨らみは、初出時(1973)の若々しい佐藤さとるの筆致だが、後半に行くに従って、文章にふくらみが減って、乾いた文体になってしまっている。

与平や九郎丸の暖かみのあるコミュニケーションが、この本の魅力の一つなので、そこは残念だ。乾いた文体になった、もう一つの理由は、戦国時代の時代背景を描くためだが、この著者に歴史物はさすがにきびしかったのではないか、とも思った。歴史は、あくまで背景にとどめておいて、天狗世界と人間世界のふれあいを丁寧に描く方が、佐藤さとるには合っていたのではないだろうか。

まぁ、いずれにしろ、ファンにとって、最高の贈り物だった。佐藤さとるに感謝、これからもお達者で。