豆つぶほどの小さないぬ

佐藤さとる
コロボックル物語(2) 豆つぶほどの小さないぬ (児童文学創作シリーズ)


私は佐藤さとるの書く話が大好きで、出版されている本はほとんど読んでいる。ファンといってもいいかもしれない。ファンというのは、往々にして「あばたもえくぼ」に陥りがちで、この文章も割り引いて読んでいただいた方がいいだろう。

彼の代表作と言えば、『だれも知らない小さな国』だ。最初は自費出版された、彼のデビュー作でもあり、それが代表作というのは、佐藤さとるにとって良かったのか、悪かったのか。

このMLにいる人で、好き嫌いは別にして『だれも知らない小さな国』を知らない人はいないとは思うけれど、念のため少し紹介する。舞台は日本のどこかの海辺の街だ。まだ自然がたくさん残っていて都市化されていない。たぶん佐藤の生まれた横須賀がモデルではないかと思う(私は彼の『わんぱく天国 安針塚の少年たち』を読んで、そう思った)。

そこに身長3cmほどの小人の国がある。小人はコロボックルと呼ばれ、古来からこの島国に暮らしている。『だれも知らない小さな国』では、せいたかさん、という青年がこのコロボックル達と出会い、彼らの援助者として努力する姿が描かれている。

小人の設定が、西洋のフェアリーテイルに出てくる小人とは違っている。とても足が早く、カモフラージュが得意なため、人間に見つからない。この話では超自然的な要素は極力排されていて、小人は魔法を使ったりはしない。この姿勢は全5巻のコロボックルシリーズを通じてかなり厳格に守られている。

最初に『だれも知らない小さな国』を読んだ、もしくは読もうとしたのは小学生の頃だったと思う。でもその時はさっぱり面白いと思わなかった。その経験からすると、これは児童文学と言って良いのだろうか、とも思う。当時は、地味というか、盛り込まれているディティールに魅力を感じなかった、という記憶がある。

その後、ふたたび出会ったのは、たしか高校生の頃である。最初に手に取ったのは、講談社文庫の『おばあさんの飛行機』だった。きっかけは小さい頃に読んだ絵本の鮮明な印象があったためだ。この絵本は村上勉の緻密な絵がとにかく魅力的で、子供達にも人気が高かったと思う。それに比べると、文庫に収録された短編には少々の挿絵しかない。ところが、逆に絵が無いことで、文章から得られるイメージの鮮明さに驚いた。

特に、おばあさんがアゲハチョウの羽の模様の美しさを発見するシーンの、瑞々しく香り立つようなイメージに私の気持ちは捕まえられてしまった。

それから『ジュンと秘密の友だち』や『いたちの手紙』といった傑作と出会ったし、何より「コロボックルシリーズ」の魅力をやっと理解できた。特に第一巻の『だれも知らない小さな国』は見事だ。ただ、この本の魅力は、決してわかりやすくないと思う。

佐藤さとるの作品はどれもそうだが、押し付けがましくなく、その魅力は柔らかな布で覆われたようにしている。描かれている物語の印象が不鮮明というのではなく、物語自体はくっきりとピントのあった明快なものなのだが、なぜそれが私に魅力を感じさせるのかが、分かりづらいのだ。

彼のストーリーテリングは、けっして商売上手とは言えない。または分かり易い盛り上がりを避けているようにすら思える。けばけばしい表現を殊更に避け、登場人物達をドラマティックな状況に追いつめない。わかりやすい可愛らしさ、格好良さは全く出てこない。

これでは、現代の子供に読んでもらうのは難しかろうと思う。一種の自然食のようなものだろうか? 子供の多くには、色鮮やかなお菓子や、キラキラする玩具、マクドナルドのハッピーセットの方が魅力的だ。私自身も小学生のころ魅力を感じなかったのだから、あまり大差ない。

さて、夢中になって佐藤さとるの作品群を読みあさった、高校生の私だったが、実は「コロボックルシリーズ」の第二巻『豆つぶほどの小さないぬ』は、読んでいなかった。たまたま買おうとした時に二巻が売り切れていたので、三巻を読んで、そのままになっていたのだが、彼の作品に私淑するに従って、逆にもったいなくて読めなくなってしまっていた。

その二巻を読んだ。特にきっかけがあったわけではなく、そろそろ良いかな、と思って購入した。

この二巻では、『だれも知らない小さな国』のつづきの話が書かれている。せいたかさんは結婚して小さな娘ができており、コロボックル小国にも技術革命の波が届いていて、時間が経過している。時代背景としては高度経済成長の初っ端あたりだろうかと思う。話は、コロボックルの少年クリノヒコの一人称で書かれている。彼が仲間とつくった「コロボックル通信社」が、豆粒ほどの小さな犬「マメイヌ」を探し出す物語だ。

読み終わったのはすでに数週間前で、それからぼんやりと印象を振り返っていた。

なんとも良い物語だ、というのが最初の印象だった。一種の理想郷が描かれているのだと感じた。逆に言えば、すれっからしな視点からすれば、現実は、こんなに綺麗ではないよ、とか、善人ばかりではないよ、とも思わないではないけれど、少なくともこの話には不要だし、良くもこれだけシンプルに良い話が書けたものだと思った。

全部で240pほどあるが、ひらがなが多く、大人が読むには短い。しかし無駄な要素がなく、エッセンスがつまっていて見事だと思う。

今回ちょっと気になったのは村上勉の挿絵だ。以前は、佐藤さとるの作品には、村上勉の挿絵は不可分、特に「コロボックルシリーズ」には、と思っていたのだが。今回、実は村上氏の絵は、佐藤さとるの作品に合っていないのではないか、と思った。村上氏の絵は魅力的で饒舌で、それでいて合理的でない。そのため、佐藤の描く小説の精度の高さを彼の絵が鈍らせているように、というか、文章だけを読んでいる時の方が印象が鮮明で魅力的な箇所がいくつもあった。

「コロボックルシリーズ」や、佐藤の作品が世の多くの人に受け入れられた要因の一つに、村上氏の挿絵があったのは間違いないが、佐藤の書く物語との相性ということではベストではなかったのかもしれない。

また、描かれた当時の時代背景と、佐藤が建築科出身ということもあって、技術がより良い未来を切り開くといった、素朴な技術信仰を多くの箇所に感じた。せいたかさんの介入によって、何百年、何千年と続いてきたコロボックル達の生活に、急速な産業革命が訪れているのだが(この巻ではグーテンベルク)、その功罪を不安をもって感じざるを得なかった。

しかしこの物語は、半世紀を越えて生き残った、ということなのだろう。けっして古びておらず、少なくとも当時、佐藤なりに、自分の考えや、気持ち、そして物語世界に対して、嘘のないように真摯に描いたことが、ちゃんと時代をこえて私たちに届いている。それが嬉しいと思った。