神隠しと日本人

小松和彦


薄い文庫本なのに読むのにけっこう時間がかかった。エッセイや啓蒙書などの「読み物」ではなく、もとは民俗学関連の論文である。『千と千尋の神隠し』が流行ったのを受けて角川文庫で再刊された。

柳田國男をはじめとする言い伝えの蒐集記録を題材に、『神隠し』を読み解いて行く。もちろんオカルト本のように超常現象を祭り上げる訳は無く、かといって、はなから迷信と決め付けるわけでもなく、丁寧に『神隠し』という現象は何だったのかを解きほぐして行く。質の高いデータの量が決定的に不足しているため、かなり著者の仮説が入ってくるが、十分に納得できる中々良い論文である。その代わりケレン味がなく、小説仕立てでもないので、軽い気持ちで手に取った(私のような^_^;)読者は、読み続けるのに苦労するだろう。

結論から言うと、『神隠し』とは社会的な保護装置であった、ということになる。それも盲目的な信仰に頼ったというよりは、生きた知恵に基づいた心理装置である。例えば著者は江戸時代の文化水準が、我々が一般に想像するよりも遥かに高かったことを述べる。技術的にも、論理思考という観点からも原始宗教のような無知な大衆を想像すると実像から離れてしまう。知情意のバランスの取れた社会であった。それに対して、これは私見だが、私には現代の方が科学技術という単一宗教に支配されたバランスの悪い社会に思える。

現代的な視点で、かつての神隠し事例を考えると、それらはすべて、家出、逃亡、誘拐、事故という結論になるだろう。さらに原因も、消えた人物の不注意、自立心のなさ、精神障害、犯罪癖、たまたまの天災、治安の悪化、家庭崩壊、借金苦といったものになるだろう。しかしこれらの結論は、どれほど真実に迫っているだろうか。また、こういった見方は果たして、消えた人物本人と、家族の幸せ、また地域社会の豊かさに有効だろうか。

警察庁の統計によると、平成14年の家出人捜索願受付数は102,880人、同じ年に所在が確認された家出人数は92,205人であり、犯罪の被害者、被疑者、捜索による発見、死亡、帰宅など様々な確認のされ方をしている。

現代でも神隠しは減っていない。天狗が、狐が、そして鬼が跳梁跋扈している。しかし異界を想像する力は、我々からは奪われてしまった。失われた我々には、頼りない縁としてファンタジーを描くくらいしか能がないのだ。


2003/10/2
few01