すばやい動き

甲野善紀について


体育館らしき所で、二人の男が棒を振り回しているようすがテレビに映っている。一人はスポーツウェアをきた学生風の若い男で、かなり長尺の棒を体と一緒に反転させる動きをしている。左、右と交互に動かす。普通の木刀にしては長く、槍ほど長くない、なにか棒術の訓練といったようすだ。若い男は体格が良く機敏で溌溂とした動きである。そのすぐ後で、隣にならんで同じ方向を向いた、年配の小柄な和服の男性が同じ動きをした時に、私の意識に何かちりりと引っかかるものがあった。変なものを見た。アクション映画でワイヤーアクションを始めて見た時のような異質な感じだ。もう一度、棒を振る。速い。映像の早回しとは違う、意識の隙間をすり抜けて行くような速さだ。その理由が知りたくて、番組を見続けることになった。

甲野善紀(こうのよしのり)は古武術を実践する武道家で、以前「考える人」という雑誌のインタビューを読んだことがあった。しかめたような顔をして和服を来た小柄な人物で、かなり大きく取り上げてあったが、ピンと来なかった。思想はわかりやすく明解だったが、彼の本領は体の動きと思想が一体化した所にあるため、文章ではわからないのだ。文章は一次元であり、手足間接が一度に動く体の動きを、分かりやすく正確に表現できない。映像はしかし偉大だ。ほんの10秒足らずで、私に何かを残すのだから。さらに言えば、この同時に動くということが彼の動きの重要な中心だった。

最初に居合の話があった。居合と言えば、正月番組などで竹を切り落とすイメージしかなかったが、抜刀術と聞いて、ある漫画を思い出した。『るろうに剣心』という剣術漫画である。アニメーションにもなって子供達(と一部の大人)の間で一世を風靡した。この漫画は、「人斬り抜刀斎」と異名を持つ抜刀術の達人である剣心が主人公の剣術格闘アクションである。この所謂「るろ剣」を見た私には素朴な疑問があった。抜刀術とは鞘に刀を納めた状態から抜き放つ技である。普通に考えたら抜き身で刀を持っている方が強いだろう。なぜなら、相手はまだ鞘に刀が入っているのだから。それでも抜刀術で勝つというのだから、まやかし臭いな、漫画だからな、と思っていた。その居合、抜刀術に対するイメージが、この番組であっさり変わってしまった。

居合とは、鞘に刀をしまった状態で、出合い頭に、抜き身の短刀をのど元に突いてくる敵と遭遇した場合にどうするか、という剣術、だというのだ。普通に考えると、かわすのは不可能である。右によけようと、左によけようと、ボクシングのようなスウェイを行おうと、短刀の突きが体のどこかに当たってしまう。次の瞬間には死ぬしかない。番組で甲野氏の実技が紹介された。

言葉で説明するのは難しい。体全体で跳ね上がるように後方にスライドしつつ、同時に剣を抜いて相手に投げ飛ばす。それを踏み込んでくる敵の剣先より速く行う。どうやったらそんなことができるのか。

現代の我々はスポーツをする場合も、また日常の歩行動作にしても「ひねり」を多用する。手と足を交互に動かして歩くため、腰がひねられる。パンチを出すときも、軸足に踏んばりを付けて、上体に溜めを作って、しなるようにパンチをくり出す。こういう「ひねり」を使う動作は、大変強くかつ、速いスピードを実現できる。甲野氏の出す例はムチである。ムチの先端は音速を越える強烈な力になるが、これは「ひねり」を効果的に利用した例である。しかし、ひねり動作は結果が出るまでに、どうしても時間がかかる。そのため上述の居合のような非常事態では役に立たない。

そこで彼が使うのは、体の全体をずらすような動きである。軸を使って順番に力を連動させるのではなく、体の各部を同時並行的に動かす。それによって、まず立ち上がりの速度を高める。そしてもう一つは、全体が同時に動き出すため、敵が動きを認知するのに遅れる、そのタイムラグが重要である。

つまり居合の瞬間から、普通の動作で、こちらの動きが完了するまでの時間をtとすると、その開始時点から時間t1で、相手はこちらの動きを察知できるため、相手がt-t1の時間を使って攻撃をしかけてくることになる。それに対して、甲野氏の体術では、まず動作完了時間t'が、tより短くなる(t > t')。その上、動作開始から相手が、こちらの動きを察知するまでの時間t1が、より長くt1'になる(t1 < t1')。したがって、相手に与えられる時間t'-t1'は、普通の動きよりも大きく開きが出る。

もちろん、これらの差はコンマ数秒である。しかしその時間が生死を分ける。

ところで甲野氏の武術は実戦でのサバイバル術かというと、そうではない。居合にしても江戸時代の話であり、帯刀はしていたが実際に使うことは稀な時代の話だ。また彼が開いている集まりは「武術稽古研究会」という。試合に勝つことは目標でなく、稽古をすること、稽古そのものが目標である。では何のための稽古、武術かというと「人間にとって自然とは何か」を考え、見つけるため、という。

体の動きには多数の骨、間接、筋、筋肉、神経細胞が寄与する。また多数の感覚器と脳が連動して動きを制御している。その組み合わせは膨大であり、無限といっても良いほどだ。甲野氏は、この人間の体の動きを頭だけで考えて科学的に(彼の言う科学的は、還元論的に近い)分析したり、開発したりするのは、そもそも難しかろうという。ではどうするのか、というと感覚を重視するのだという。体が発する声を聞くことだ。

現代人、特に現代日本人は、ほんの数十年前まで普通に行っていた、これら感覚統合を忘れてしまっており、それが様々な問題を生んでいるのではないかと彼は言う。たしかに私も考えているつもりで、いつのまにか殆どはオートマタと化して、頭の一部分だけで堂々巡りをしているようなことが、最近多いような気がする。まるでマジックのような様々な実技をあっさりと見せられた後だけに、彼の言葉には大きな説得力を感じた。

NHK人間講座のテキスト『「古の武術」に学ぶ』が売られているので買って読んでみた。テレビでは分からなかった背景思想や、関連情報が多数得られて興味深かった(特に『猫之妙術』は楽しい)が、やはり動きがわからない。次回10月22日の回を見逃さないようにしよう。


2003/10/19
few01