ローマ人の物語『終わりの始まり』29巻〜31巻

塩野七生
ローマ人の物語 (29) 終わりの始まり(上) (新潮文庫)ローマ人の物語 (30) 終わりの始まり(中) (新潮文庫)ローマ人の物語 (31) 終わりの始まり(下) (新潮文庫)


この巻は、五賢帝の五人目、マルクス・アウレリウスから語り始められている。

塩野氏が上手いのは、どの本を読んでも、その本で取り上げられている人に興味を抱かせるという点だ。ローマ「人」の物語、と言う通り、人が中心の歴史物なんだな。ハドリアヌスの後をついだ、平和の人ピウスから、マルクスに帝位が受け継がれる。以前紹介したように、ハドリアヌスというのは凄まじい人で、ローマ全土を踏破し、辺境整備を完璧なものにした。

従来のローマ史では、五賢帝であるマルクスまで栄えた帝国が、その子のコモドゥスの時から急に崩れたように扱われることが多いらしいが、この本では、ちょっと別の視点からローマ衰退の端緒を描いている。

ピウスは元老院を重視し、イタリアを出ずにローマ帝国を運営しつづた。それはハドリアヌスが配したシステムが充分に機能していたから、というのが塩野氏のスタンスだ。ローマ街道、防壁、軍隊、外交のシステムである。しかし、システムには状況の変化に応じて常にメンテナンスが求められる。もちろん、表面的かつ定常的な補修は皇帝が何もしなくても、通常業務としてなされていただろうが、状況変化に対応した手直しはトップが動かなければ難しい。

塩野氏は、ピウスは見事にローマを運営したが、現場に足を向けた事が無い。そのため、知らぬうちに大丈夫だという過信を習慣にしてしまっていたのではないか、と言う。そのピウスに子どもの頃から手をかけられ、勉強に次ぐ勉強をさせられ、皇帝となるべき政治的キャリアを積まされたマルクスは、誠実さと努力の人という印象を受ける。

マルクスギリシア哲学が好きで、『自省録』という哲学的書物を書いているような「哲人皇帝」である。たいへん内省的な人のようだが、彼が皇帝をしているローマには、次から次に厳しい災難が降り掛かってくる。疫病が流行し、川が氾濫し、地方の軍隊が反乱を起こし、共同統治者とした義理の弟がさっさと死に、北からは続々とゲルマン人たちが押し寄せてきて、防壁を破り始める。内蔵に病気を持っていて胃痛に苦しんでいたとも言われる。

次から次に持ち上がる問題に、真摯に対応して必死にローマ帝国を支えながら、時代が変わりつつあることが、彼にはわかっていただろう、と塩野氏は書く。

ハドリアヌスが作り上げたシステムがもっと粗雑なものであれば、ピウスの時代にすでに多くの問題が持ち上がっていた筈だ。そうすれば、首都ローマにいて指示を飛ばすだけで帝国を運営することなどできず、当然引き継がせる予定のマルクスにも、辺境を回って、現場の状況を見、時代の変化を察しさせることができたかもしれない。しかし、そうであればハドリアヌス以降の何十年間もの繁栄もなかっただろう。

その時、その時に最善と思われることをやったとしても、上手く行かないことはある。そういう理不尽さに理解を深めるにも歴史を知る意義があるのだな、と思う。

マルクスの後を次いだのは、実子であるコモドゥスだ。映画『グラディエーター』での悪役がこのコモドゥス皇帝である。主人公マクシマスのモデルと思われるマクシミアヌスも出てくる。塩野氏はこの巻を書くために『ローマ帝国の滅亡』と『グラディエーター』のDVDを何度も見たそうだ。歴史家としての視点からは、文句が多々あるようではあるが。

コモドゥスが暗殺された後、ローマ帝国は内乱に突入する。さらに内乱が集結した後、どうも芯のずれた、変な方向にローマ全体の歯車が動き始めたのを語って終わっている。