幼年期の終わり

アーサー・C・クラーク
(光文社古典新訳文庫) 池田 真紀子 (翻訳)
幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)


光文社古典新訳文庫の最新リリースとして、『幼年期の終わり』が刊行された。私が最初に『幼年期の終わり』を読んだのは、たしか高校生の時で創元の沼沢訳だった(Over Loadが上主と訳されている)。ハヤカワの福島訳を読んだ人の方が多いだろうと思う。福島正実といえばSFマガジンを創刊した人物で『海底大戦争』の原作者でもある。最初に読んだ当時に古いという印象は全く感じなかったので、古典新訳文庫に入るのは奇異に感じたが初版は1953年で、すでに半世紀以上昔の小説なのだった。

高校生の私は物語の展開にガツンと衝撃を食らった。読み終わった時には多少放心したような状態になり、断片的に、接見室での国連事務総長が見た一瞬の影や、スターチャイルド達の終局のシーンなど、二度と忘れられないイメージが残った。ちょっとWeb検索してみればわかるように松岡正剛初め大勢の人の絶賛が見つかる。このSFは本当にすごい。

今回訳が若々しくなった。池田さんというのはミステリなど、エンターテインメント作品を主に訳する人らしく、さらさらと読める。特に後半、子供達の変容をオーバーロード達が観測するあたりの畳み掛けるような展開はページを繰るのがもどかしくなるぐらいの面白さだ。

さて、以前書いたようにSFの古典ベストというと、この作品を含めて、いくつか思い浮かぶものがある。せっかくだからSFを読まれない方向けに少し紹介してみよう。みなさんなら何を選ぶだろうか? 短編ベストや、ファンタジー古典ベストというのもあるかも知れない。


幼年期の終わり』1953

半世紀前に描かれた、宇宙人来襲物だが、それ以降のすべての宇宙人来襲物に影響を与え、未だに、これを越えるものは無い。人間やオーバーロード達の心の動きなどヒューマンな面がじんと来る所もありながら、描かれる世界・宇宙のあまりもの非情さ、壮大さに圧倒される。


『地球の長い午後』1962

作者のイマジネーションの途方も無い大きさに唖然とする。植物に支配された遠い未来の地球を描いている。けっして難解ではなく、エンターテインメントとして面白い上に、浅薄でなく、深い印象を与える小説だ。読む前は、ちょっと不気味なB級SFみたいなものか、と思って敬遠していた所もあったが、実際に読んでみると、あまり不気味ではなく、豪華な多国籍料理を堪能しているようだった。


『宇宙船ビーグル号』1950

科学者を載せた探査用宇宙船が遭遇する4つの話で構成された連作短編集だ。スペースオペラではなく、どれもしっかりSFしている。冒険物としての面白さと、ネタの切れ味の鋭さが印象的だ。映画『エイリアン』は、第3編の「イクストル」にアイデアの多くを借りたとされている。ただ敵の設定自体には大きな違いがあり、個人的には「イクストル」の方がずっと好きで、面白い。


夏への扉』1957

いま読むとノスタルジックな感じすらするロマンティックな古典SFだ。タイムトラベルを扱った、切ないストーリーである。その味わいは、SFというよりも、もうほとんどファンタジーで、暖かく、それでいて清々しい読後感を与えてくれる。また猫が重要な役割を果たしているので、猫好きならば必読か? 山下達郎の『Ride On Time』というアルバムに『夏への扉(The Door Into Summer)』という曲があり、まさしくこのSFを題材としている。読後に聞くと感慨が深い。


『虎よ、虎よ!』1956

ゴーゴーと音を立てながら流れる怒濤のようなSFだ。ストーリーは『巌窟王』の宇宙SF版といったところか。熱い(暑苦しい)男の復讐譚であり、二転三転するプロットに、読むのが止められなくなる。ジョウント効果という名前のテレポーテーションによる世界の変容を描いている。最後あたりは、もう、どうやって訳したのやらというような奇天烈なことになり、その破壊的な濃い味わいが、辛いカレーライスを食べたような、強い印象を残す。


ソラリス』1961

はっきり言って読み通すのは楽ではない。が、読み終わった時の充実感、読んでいる間の現世を忘れる感覚は第一級だ。全体は、ソラリスという、ゼリー状の海に覆われた惑星での、ファーストコンタクトを描き尽くした小説である。が、映画化されたのをご覧になった方はおわかりのように、かなり痛々しいラブロマンスの要素が入っている。大きく緻密なペルシャ絨毯のようなSFである。なお、せっかく読むのなら、省略のない国書刊行会版の『ソラリス』が良い。


『闇の左手』1969

異世界ファンタジーと言っても良いSFだ。一応、人類が惑星移民、遺伝子操作などを行った結果、という説明があるのでSFに入る。とにかく描かれている情景、雰囲気の豊かさ、美しさが圧巻だ。『幼年期の終わり』のように硬質なプロットを建築物のように組み合わせたSFとは対照的で、緻密で香り立つような個々のシーン、細かな所まで心を配って構築された異世界文明が、読む者に深い味わいを与える。惑星<冬>、カルハイド王国、一の年のオドハルハハド・ツワ、とか来るともう、それだけで、心は遠くに飛んでいる。そして実はこれもラブストーリーである。何も起こらないが。


さて、いかがだろう。火星のホットドッグ屋の話とか、ガンダムのもとになったクモとの戦いの話とか、サミュエル・ラン博士が発見した新人類の話とか、砂漠で亀をひっくり返してはいけない話とか、川をさかのぼって行くと何もかもクリスタルになる話とか、お気に入りがない?と思った方は、追加いただきたい。